エッセイみたいなもの

今日のエッセイ 料理のメインディッシュの成り立ちを考察。 2022年5月10日

さて、昨日の続き。ヨーロッパの料理に「メイン」という発想が定着した話だったね。そもそも、西ヨーロッパというエリアは、食料事情が良くないのだ。素直に考えれば当然の話しだけれど、寒すぎる。品種改良が進んだ現代なら良いけれど、近代以前はかなり厳しい環境だったと言える。だからこそ、領土を拡大するための戦争がたくさん起こったらしいのだけど、詳細は不勉強なので言及は避けておこうかな。

そんな中で、庶民が食べられたのは「パン」と「スープ」である。アルプスの少女ハイジみたいな時代を考えてもらえるとわかるのだけれど、日本と同じような食文化を形成している。このパンが時にはジャガイモになったりパスタになったりするのだけれど、それは日本でもイモがやうどんが主食のポジションにやってくるのと同じことだ。

この部分が同じであるのにもかかわらず、おかずの解釈の違いが生まれたのは何か。

穀物の栽培と収穫がタイヘンなのだ。日本だってそこまで豊かだったとはいえないが、ヨーロッパのそれはその比ではない。土壌、気候、麦という植物の性質。これらが絡み合った結果のことだ。ざっくりいうと、効率が悪いからだね。

そうなると、家畜を食べることになる。家畜は肉を食べるためというよりも、ミルクが重要だった。というか、早々簡単に肉にしていたら、困るわけだ。肉は一度切り。ミルクなら長い期間提供してもらえるのだから当然だね。ただ、食べるものが無くなってしまったらしょうがないので、屠殺して肉を食べるということになる。家畜のことを英語で「リブストック(LiveStock)」というのだけれど、生きた貯蓄という意味だ。そういう感覚でいる。

この貴重な肉をいつでも食べられるのは、贅沢だということになる。単純に、パンとスープよりも旨いしね。一節には騎馬民族であるモンゴル帝国の影響があるとも言われているけれど、とにかく肉イコール贅沢という図式が完成する。これが、王侯貴族になると、肉をガッツリ食べられる身分であるということになるわけだね。

元々、パンとスープがメインだったのだけれど、肉=ご馳走になって、肉がデカくなっていった。肉がメインで、パンをちょっとつまむ感じにまでなっていく。というのが、中世以降のヨーロッパ貴族の食事である。

もうひとつ。いろんな食材があるわけじゃないからさ。おかずを何種類も作ることが難しかったというのもあるよね。これは気候風土に起因しているのだけれど、同じ理由で発酵食品が限られていたこともあるかもしれない。このあたりは、もっと勉強してみないとわからないけどね。

現代のフランス料理は、フランス革命の影響である。王族がいなくなったことで、王宮で働いていた人たちがリストラされたわけだよね。当然その中には料理人も含まれる。その人達が、庶民を相手にビジネスをはじめたのがスタートになっている。だから、王侯貴族用の料理がベースになった。ということだ。

ざっくりと日本の貴族の食事と比べてみる。日本の場合は、「飯+汁」をベースにしたまま「おかずの種類が増える」という贅沢だった。だから、主役の比率が高いまま保たれていて、おかずはおかずのままである。ヨーロッパの場合は「おかずのサイズがデカくなる」という贅沢になった。その結果、主役が逆転していったという見方もできるかな。

今日も読んでくれてありがとうございます。ここまでが、まず「食事」のはなし。宴会ではなくて、日常の食事の話なのだ。これが、ハレの日や宴会となるとどのように変化するのか。ということで、次回こそは会席料理にメインがないという話になるんだと思う。

  • この記事を書いた人

武藤太郎

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