エッセイみたいなもの

今日のエッセイ 「和食っぽい」と感じているのはなんだろうね。 2022年5月14日

2022年5月14日

想像しているよりも、現代人は「和食」というものを大切にしているのかもしれない。食文化の歴史を遡って、色々と眺めてみるとわかるのだけれど、これは結構レアなことなのだ。

現時点で、ほとんどの人が「和食」だと思っているものでも、実はそうでもないことがある。トンカツは、フランス料理のコートレットが由来。コートレットがなまってカツレツになったんだね。豚のカツレツを省略してトンカツ。天ぷらはオランダ料理で、テンポーロとかいうお祭りのときに食べるものだとか。揚物は海外由来だってことがわかりやすいかもしれない。元々日本に馴染みのない調理方法だからね。

伝統的と思われているスシだって、もとを辿れば中国からやってきた漬物だ。まぁ、スシに関しては日本にやってきてから驚くほどの変化をしているから、日本の料理だって言い張っても問題ないだろうけどさ。ただ、同じことを言えばラーメンだって「和食」って言っても良いはずだ。ラーメンは周知の通り中国料理が元になっている。

国外に出てみると、ラーメンは日本の料理だと思われている。欧米圏はもちろん、東南アジアへ行ってもそうだし、台湾や中国でも、日式ラーメンとしてカテゴライズされているくらいだ。

けれども、日本の国内ではあくまでも中華料理になる。中華料理というところがポイントだよね。中国料理じゃないの。中国料理風のものだよってこと。ちょっと本家本元に遠慮している感じがする。だけど、それでも和食とは言い切らない。この20年くらいでラーメンはより生活に定着したし、ラーメンだけを提供する専門店が登場した。若い人にはピンとこないかもしれないけれど、平成のはじめくらいまではラーメンは中華料理屋で食べるものだ。ラーメンだけを提供していたのは、ごく一部のお店と屋台くらい。だから、近年になってラーメンという食のジャンルが独立したといえるかな。

それでも、このラーメンを和食の中にカウントすることに抵抗がある人も少なくない。

こういう感覚はカレーライスでも同様だ。不思議だよね。肉じゃがは和食の定番にまで数えられるようになったのにさ。なにがこの二つを隔てているのだろうか。

和食の調理方法だからなのか。それとも、引き算の料理とか、素材を大切にするという和食らしい思想によるものなのか。食材や料理の伝来などの歴史的な背景の細かいことを言い出すと、キリがない。キリがないというのは、ほとんどの人の認識と歴史的背景とで食い違うところが出てくるからだ。スシは中華料理だってことになったら、なんだか気持ち悪いでしょ。感覚とのズレがあるのだから、感覚を正として考える方が良いのだろう。言語化されていないだけで、こういうのが和食といえる定義があるはずだ。という前提に基づいて考えるってことね。

そうなると。調理方法や思想の部分になりそうな気がしているんだ。なんだろうなあ。日本料理の料理人が扱うと和食になっちゃうのかな。美術の世界でいうとモノ派みたいな感じ?素材を大切にして、なるべく手を加えないっていう、あの感覚。

どうなんだろう。言語化に挑戦してみようかとも思ったんだけど、そうそう簡単に結論には辿り着けそうもないなあ。なんとなく。ホントになんとなく、このあたりだろうという見当を付けてい入るのだけれど。それもちゃんと言葉にならないでいる。

今日も読んでくれてありがとうございます。とにもかくにも、日本人は無意識のうちに区別をしていて。それによって、和食というものを保護しているのかもしれないと思うんだよ。カレーは和食じゃないって、そう言い張ることで和食の精神を守っているというような。そういう気がするっていうだけなんだけどね。

  • この記事を書いた人

武藤太郎

掛茶料理むとう2代目 ・代表取締役・会席料理人 資格:日本料理、専門調理師・調理技能士・ ふぐ処理者・調理師 食文化キュレーター・武藤家長男

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