エッセイみたいなもの

今日のエッセイ たべものRadio公開収録ライブの振り返り 2022年5月21日

2022年5月21日

先日「たべものRadio」のオンライン公開収録をやったんだよ。公開収録だから、原稿に沿っていつも通りのことを話してそれを見てもらうっていうのが、正しい姿なんだろうね。だけど、もう途中からわけが分からなくなっちゃって、オンラインライブになってた。

雑談と本編のパートがずっと混ざっているのよ。しかも、ずっとリスナーさんのチャットメッセージに反応し続けててね。本編の話をし始めるのが、放送開始から90分後って。ムチャクチャだわぁ。

だけどね。

メチャクチャ楽しかったんだよ。

そして、もっとリスナーさんを好きになったし、番組を好きになった。

メディアの配信って、結局のところ一方通行に近いんだよね。視聴回数やフォロワー数はデータがある。だから、どの程度の方が聴いてくださっているかは、数字ではわかる。それに、ツイッターでやり取りをしてくれる方もいるから、インタラクティブな感じもある。なんだけど、相互に交流しているっていう感覚を、肌で感じるというところまで行けなかったんだ。

ライブのときは、オンラインではあったけれど、リスナーの皆さんの息遣いを想像することが出来たんだよ。

これは、リアルタイムであることの恩恵なのかな。

コミュニケーションっていうのは、お互いの反応に反応を重ねていくことが本質なんじゃないかと思っているんだよね。内容なんか無くても、とにかく反応し合うこと。小さなことで良いから影響し合うこと。そういうもんだと思うんだ。

ただ、これにはタイミングが大切でさ。ちょうどいいタイミング。会話の温度が高くなっているところに、反応があることだ。会話の中にも「旬」があるんだろうか。なんとなくそんな感じ。SNSだと、旬が過ぎちゃっているようにも感じることがあるんだ。チャットのほうがリアルタイムでしょ。ライブだと、僕らの方は文字入力じゃないからもっと早い。ちょっとずるいな。

SNSだと、「反応し合う」だけじゃ済まないようなところがある気がするんだ。文字だからね。ちょっと内容を考えてから入力する。幸いリスナーさんにはいないのだけれど、コミュニケーションになっていない人もいるじゃない。元々、持論があって、それを披露する機会を探しているような人。リツイートもリプライも、そういう使い方になっている人を見かける。で、いつも反省してる。

SNSに限らなくても、実生活にも同じことがありそうだから。会議しているとさ。特にそうなることがあるよね。相手の意見を聞いて、それに対してレスポンスする。それなら良いんだけど、ただ持論の展開になっていて、あんまり相手の意見を理解していない。納得しなくていいから、理解しようとすることが大切なんだろうなあ。

話がそれちゃった。今日は、特に中身なんかなくてさ。リスナーさんたちとの交流がメチャクチャ楽しかったよって。それを文字に残しておこうって思っただけなんだ。5月18日の20時から、お酒を飲みながらの開催でした。2時間程度の予定が、結局4時間しゃべり倒すっていうね。なんだろう。良いのかな。というか、これどうやって編集して配信するんだろう。

今日も読んでくれてありがとうございます。オンラインでこれだからね。リアル開催したら楽しすぎて嬉しすぎて倒れちゃうかもしれない。ずっと笑ってそう。なんとなく始めたポッドキャストだけどさ。もう、たべものRadioは僕らだけのものじゃなくなっていってるんだね。みんなのコンテンツになりつつある。そうなって欲しいよなあ。

  • この記事を書いた人

武藤太郎

掛茶料理むとう2代目 ・代表取締役・会席料理人 資格:日本料理、専門調理師・調理技能士・ ふぐ処理者・調理師 食文化キュレーター・武藤家長男

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