エッセイみたいなもの

今日のエッセイ 梅干しから読み解く、好き嫌い。 2022年5月27日

2022年5月27日

梅干しというのはとても不思議なたべものだ。どのカテゴリに分類していいかわからなくなるんだよね。漬物といえば、それは間違いなく漬物だし、それが正しいカテゴリなんだと思う。なのだけれど、どこか妙にしっくりこない感覚があるんだ。論理的じゃないことは充分にわかっている。情緒的にしっくりこない。そんな感じなんだよね。なんでだろう。

梅干しのルーツをたどると色々と面白いことがわかる。他のいくつかの食材と同じように、始まりは薬だったようだ。現代の治療薬と同じような感覚で用いていたようにも見えるんだよね。もちろん、漢方の生薬としてだけど。

それが、時代を経て健康食のような扱いになっていく。なんだろうな。普段から養命酒を飲んでいると健康的だとか、そんな感じかなあ。

そんな感じだから、戦国時代近辺では軍事的に重要な食材になっていく。戦略物資ってやつだね。まさか、梅干しが戦略物資だなんて予想もしなかったほど。とまでは感じないのが面白いところでさ。ははぁ、さもありなん。なんて感心するのが日本人らしい。というか、それだけ梅干しが多義的に文化に根付いているんだろうね。

一方で、かなり古い時代。古代から梅干しは調味料に使われているんだよ。主に梅酢のほうだけれど、どう考えても実も使うでしょう。たぶん、梅酢は醤の一種として登場したんだろうと想像できる。古代中国文明の中で、肉醤とか魚醤や草醤なんてものまで登場しているんだからさ。そりゃ果実を使った醤が作られても不思議じゃないと思うんだ。

日本は中国の食文化の影響をかなり強く受けているから、やっぱり梅酢は調味料として使われているんだよね。和え物、特にナマスに使われていた。

どれもこれも、そんなことがあったんだ。という驚きと同時に、心の何処かでは納得している。他の食材だと、いろいろと解説を加えて初めて納得することが多いんだけど。でも、梅干しの場合は、そういうこともありそうだなっていうくらいには、直感的に納得しちゃうんだよ。

ね。梅干しと日本人の関係って不思議でしょ。

それだけじゃない。あんなに強烈な味を当たり前のように食べているのも不思議。外国人になんの前情報もなく食べてもらうと、かなりの高確率で閉口する。こんなものは人間の食べるものじゃないってね。笑っているけれど、日本人だって似たようなもんだよ。平安時代くらいだと、庶民の殆どは口にしなかったっぽいしね。高級だってこともあるけれど、とにかく口に合わなかった。

梅酢の元になっているものを食べるなんて、何を考えてるんだ。なんてくらいに思ったかもしれないね。

これがちょっとずつ、浸透していくんだ。おにぎりの具になったり、武士のおかずになったり、戦中食になったりしてさ。徐々に広がっていく。これ、もしかしたら味に慣れてきたってことじゃない?何世代も掛けて、食べていく。始めのうちは、うちの父ちゃんは変なものを食べている位の感覚だったかもしれない。それが、死んだじいちゃんがよく食べてたなあってなってさ。そのうちに、当たり前のように食卓に並ぶようになって。子供の頃はその強烈な味に閉口していたかもしれないけれど、家族みんなが食べているもんだから食べるようになっちゃう。そんなことの繰り返しで浸透していったんじゃないかな。

食文化っていうのは、往々にして「慣れ」という側面があるんだと思っている。明治維新の後、日本に牛や豚肉が入ってきた。そのころは、獣臭い食べ物だと感じる人がとても多かったし、ビールなんて苦くて飲めないって新聞の記事にもなっている。それが、いつのまにか浸透していって慣れてしまったからこそ、その中の美味しさを見出して食べることが出来るようになったわけだ。

欧米文化圏の人たちの中には、魚類は魚臭いといって食べられない人もいる。実は、これも慣れによって解消されるんじゃないかと思うんだよね。

今日も読んでくれてありがとうございます。好き嫌いの大半は「慣れ」なのかもしれない。生理的に無理ってこともあるにはあるだろうけれどさ。そして、食文化っていうのも同じ文脈で形成されているような気がしてならないんだ。どう思う?

  • この記事を書いた人

武藤太郎

掛茶料理むとう2代目 ・代表取締役・会席料理人 資格:日本料理、専門調理師・調理技能士・ ふぐ処理者・調理師 食文化キュレーター・武藤家長男

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