エッセイみたいなもの

今日のエッセイ 食文化史と料理人。 2022年6月13日

2022年6月13日

たべものRadioのこぼれ話です。というか、たべものRadioをやっていて思うこと、かな。聞いてくれている人はわかると思うけれど、たべものRadioというポッドキャストは食べ物のルーツやその変遷を深掘りする番組だ。半分以上は歴史なんだよね。

食材の素性の話もしている。栄養学的にどんな効果があるのかだったりね。だけど、どちらかというと人類の食文化史の方がボリュームが多いかな。主食ってなんだろうとか、食事ってなんだろうっていう根源的な問い。そういうところが、この番組の主たるコンセプトだ。

いろんな角度からのアプローチをしてみると、なんとなく輪郭が見えてくることがある。そういうのが面白い。自分で言っちゃったけど、ぼく個人がオモシロイと思っていることを喋っているだけだ。調べてみたらこんなところが面白かったよという報告なんだよね。

ところで、こういう食文化のルーツをたどる学問って存在するのだろうか。参考書籍がたくさんあって、学者がいるのだから無いということはない。食文化全般を語っている本もあるし、料理や食材に特化して研究されている本もあるし。ただ、著者のプロフィールを見ると人類学や人文学というカテゴリに分類されている事が多い。あとは、在野の研究者とかかな。民俗学の場合もあるし、栄養学の場合もある。

美術の世界だと、美術史というカテゴリがあるらしい。どんな人が研究しているのかは知らないのだけれど、聞いたところによると、美術大学に通う学生は基本的に美術史を履修するんだとか。今、書いていて気がついたのだけれど、美術史は一つの単語として変換出来るんだね。食文化史は一般単語に登録されていない。というところからみても、あまり一般的じゃないんだろうか。

そもそも、食の大学って聞いたこと無いもんね。あるのは調理師専門学校とか、どこかの大学の中の栄養学。女子栄養大学はあるか。それにしても少ない気がする。調理師学校ではどんな授業があるのかな。通ったことがないからわからないのだけれど、食文化史については触れるのだろうか。調理師免許の試験には、あまり登場しない分野だ。近年になって、食文化についての項目が追加されてはいるけれど、そのボリュームはかなり少ない。調理師試験のための教科書を見ても、食文化史の項目は最もページ数が少ないのだ。

調理師というのは、安全に調理して料理を提供することが出来るということが主目的の資格。だから、そうなるんだろうけれどね。なんだか、片手落ちのようにも思えるんだ。そう思うようになってきた。

料理を生業としていくというのなら、その料理がどのような背景で成立していったのかは知っておいたほうが良い。それは、自分が作る料理の幅を広げてくれるからだ。スシはこうあるべきとか、会席料理はこういうものだっていう型があるよね。なんとなく言われているし、ついうっかり信じている。だけど、その型なんてものは近代以降に思い込まれてきただけだったりするわけ。なんなら、自身の経験の範囲だけの話だったりする。愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶって言うじゃない。クリシェだけど。

経験も歴史も、同時に学ぶことが必要なんだと思うんだ。経験でしか得られない学びもある。一方で、歴史を知ることでしか学ぶことが出来ないこともある。その両方が必要。そういう意味では、料理っていうのはとても良い題材だと思うのだ。料理は生活に密接で、経験しやすいから。

美術作品と違うのは、作り出されたものが短命だということ。江戸時代に作られた料理が、今でも絵画のように残っているということはない。くさっちゃうもんね。だけど、そのときに生まれた型や考え方やレシピは残っている。具体的なレシピとして残ることもあるし、カテゴリになっているものもある。音楽に似ているかもしれないね。そういえば、音楽も大学があって音楽史があるなあ。

こういうの、要らないのかな。ぼくは、食も人類の文化だと思っているから、必要だと思うんだけどね。そのうえで学芸員のような人が存在していても良いんじゃないかとね。

今日も読んでくれてありがとうございます。歴史は政治だけじゃなくて、人類の営みそのものなんだよね。学校で習う歴史の殆どは政治でしょ。全部じゃないけどさ。大きな流れをつかむなら、文化史も履修したほうが良いと思うし、食を仕事にするなら食文化史を学ぶことは大いに意義があるんじゃないだろうか。

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