エッセイみたいなもの

今日のエッセイ ブログお引越し 2022年6月19日

このエッセイで何話目だろうか。来る日も来る日も、文字を並べ続けて500日を越えたようだ。何度もブログをやらなきゃと思いながらも挫折し続けたぼくが、よくここまで続けられたと思うよ。そもそも、書かなくちゃという思考が良くなかったんだろうね。記念すべき最初の一話は何がふさわしいだろうかなんて、大仰に考えていたこともある。誰も読んでないだろうに、何を気張っているんだか。と今なら思うのだけど。

誰が読むのか。これは、ビジネス的に表現すればターゲット設定だし、マーケットの想定だよね。ターゲットを設定するところからさまよってるよね。ペルソナでも設定すれば良いのかしらと考えていたところでめんどくさくなった。いつもならここで書くことをやめてしまうのだけれど、今回は違ったんだ。ペルソナじゃなくて、自分を読者に設定した。とにかく僕自身が後から読んでも面白いと思えること。これが、このエッセイの一番の読者設定になった。

ホントなら、色んな人に見てもらう想定で書くんだろうね。しかも、企業のページで代表者として掲載しているわけだから。そりゃもう、飲食店らしい発信が中心になるべきだろう。だけど、それだとぼくが飽きるんだ。読み物として全然面白がれない。ぼくがつまらないと思うコンテツをぼくが書けるわけがない。他の誰かが喜ぶかもしれないけれど、ぼくは辛い。だから、料理屋らしいことは少ないということになっている。

あれ。ぼくは料理に興味が無いのか?という疑問も浮かぶけれど、そういうわけじゃないんだ。興味があちこちに散乱しているから、気分で拾い集めるとそうなっちゃうんだよね。

続けてきてとても良いことがある。まず、文章を書くという作業が苦ではなくなった。エッセイに関しては校正も推敲もしないことにしているから、気の向くままに言葉を連ねるだけ。気楽なものだ。そして、過去の自分と比べれば、文章がこなれてきたようなきがする。多少はマシになって来ているだろうね。500本以上書いているのだから、少しくらいは上達してなくちゃ困るのだけど。

日常生活にもちょっとした変化があったかな。アンテナに引っかかったモノゴト、琴線に触れるようなモノゴトに敏感になった。エッセイのネタになるな。そういう感覚を常駐させるようになったんだ。そこから一歩進んで、少し深掘りして考えてみたいテーマを探すようになった。考えるためのテーマ探しがバックグラウンドで稼働し続けている状態。これを持ち帰って書き出しながら思考を進めていく。こういうのが普通になったんだよね。これは、面白い変化だ。今までなら、その場で思考を巡らせて放置だった。思い出せればそれでいいし、忘れたらそれで良い。

文字に書き起こすことで、思考は深まる。深まるというのとはちょっと違うかな。整理して書いているつもりなのだけれど、気がつくと想像もしていなかったところに着地するんだよ。脳内だけで考えていると、だいたい結論ありきの議論がなされる。直感に引っ張られるんだよね。文字起こしすると、途中で矛盾に気がついたり、あえて反証を探してみたりする。

自分の書いた文章を読み返すんだろうね。書きながら読んでいる感じ。書いているうちに、あれあれ?となる。そんなことを繰り返していくうちに無理やり世界観が押し広げられているような錯覚を覚えるんだ。

これがまた気持ちいいのよ。気づきといえば気づき。なんだけど、今までの固定概念というか思い込みのようなものが崩壊するのが面白い。それまでに培ってきたぼくの世界観が音を立てて崩れ去っていく瞬間が、ぼくにとっては悦楽ですらある。ヘンタイかもしれん。

さて、今日の本題はここからだ。ここらで一度筆を置こうと思っている。というのは、掛茶料理むとうの公式サイトに掲載するのは一旦区切りとしたい。ぼくが毎日のようにブログをアップすることはこれからも継続するのだけれど、その掲載先を変更しようと思うんだ。

可能なら、複数のブログを更新するのが良いのだろうけれど、まだそれだけのパフォーマンスは期待できそうもないからね。

ブログの引越し先は「たべものradio公式サイト(https://tabemonoradio.com/)」

お店は料理を生み出すところ、コンテンツ関連はたべものradioという整理が良いかなと思ってね。もし、このエッセイを読んでくださっている方がいらっしゃったら、引越し先も覗きに来てください。

今日も読んでくれてありがとうございます。継続は力なりって、ホントにそうだよね。びっくりするよ。だって、たべものradioもこのエッセイから分化して誕生したんだよ。面白いよね。

  • この記事を書いた人

武藤太郎

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