先週のエッセイの中で「お米のための料理」という表現をしたところ、なんだか面白かったらしくて反響がありました。調子に乗って続編を書いてみようかな。
まず、日本人はどのくらいの量のお米を食べているのか見てみよう。平成30年の一人あたりの米の年間消費量は53.5kg。少なっ!一日あたり1合弱くらいか。びっくりした。ちなみに昭和37年は118kgだから、一日2合ちょっとだったんだって。かなり減ったんだね。
江戸時代はどうかというと、ひとりで一日5合。逆に多すぎるわっ!1日2食で2kg近い量のお米を食べてたということは、毎食1kg弱。これじゃ他のおかずが食べられなくて栄養バランス崩れそうだけどね。白米じゃなくて玄米だから良かったのかな。いいや、割と白米だぞ。その結果ビタミン不足からくる病気が流行してたもん。そりゃそうなるよね。バランス悪いもん。それにしても、いま1食で1kgのご飯食べる人います?365日ずっと、毎食。スゴイよね。
ただし、これは「江戸(今の東京)」だけの話。他の地域は武士階級が米、庶民は麦やヒエ、粟を中心に食べていたのが普通だったし、それらの量だって5合も食べてない。2~3合くらいのもんだ。他のおかずもまあまあ食べていたらしい。それでも現代よりは多いけどね。じゃあ、なんで江戸だけが大量のお米を食べていたんだと思う?
実は、これが現代の東京の食文化の原点になっている。
それは、江戸幕府のせいなんだ。この時代の税はお金じゃなくて全部「米」だったでしょ。農民がお米を「藩」に納める。そして今度は全国の藩が幕府に納める。で、これが幕府で働く人達の給料として配られる。給料お金じゃないからね。お米。いくら保存しやすい食品だとしても、ずーっとお米のままでおいておくわけにもいかないじゃない。日常の生活物資を買うのだって、お米のままじゃ流通させられなくて不便でしょうがないもん。「呉服屋さん、今日は着物を買いに来たよ。支払いはお米1升で。」って嫌だよ。受け取るのも困るし、買い物のたびにたくさんお米を持って歩かなくちゃいけない。
だから、お米をお金に替える必要があった。そうすると、みんな便利なんだけど。その分お米が大量に市場に出回ることになるよね。もうとっくに気づいているかもしれないけれど、「江戸にはお米が大量にあった」んだ。だから、お米をどんどん消費しないといけない。お米を消費して循環させないと、江戸の経済が回っていかない。
現代人の感覚のままだと、ちょっと理解しにくいかもね。例えば千円札を家に置いていても腐らないし無くならないよね。盗まれない限り。だけど、お米だからさ。お腹が減ったら食べるわけでしょ。ネズミに食べられるかもしれない。めっちゃかさばるしね。
とにもかくにも、そんな事情があって江戸には大量のお米があった。そうすると、お米を食べるのに都合の良いおかずが誕生する。「佃煮」「きんぴらごぼう」「めざし」「切り干し大根」といったものは、特にお金のない庶民に人気のおかずだったんだって。少しのおかずでたくさんのお米を食べられるから。それ以外にもいろいろあるんだけど、佃煮なんかが江戸で発達したのもわかりやすいよね。
この「お米消費文化」の延長上に登場するのが「江戸前寿司」だ。これならめちゃくちゃお米を消費するもんね。念の為言っておくけど、寿司はもともと関西の食べ物だからね。それをかなり簡略化したのが、現代で一般的になっている「江戸前寿司」。しかも、現代の寿司ともかなり違うけど。大きさとか味とかいろいろ。
寿司の歴史だけでも書き出すとそうとう長くなるから、今回はあまり触れないけど。
元々、日本全体が「お米を食べるためのおかず」を料理とするような傾向があったんだけど、この江戸文化がそれをかなりの勢いでブーストさせた感が強い。なにせ、その文化をもった東京が500年間ほど日本の中心地なわけだから。和食全体に与えた影響は大きいんじゃないだろうか。
江戸だけじゃなくて、米どころと呼ばれる地域もそれに近い食文化の発展があったという文献もある。ちょっと江戸とは時代がずれるけどね。それはそれで、また今度にしよう。
今日も読んでくれてありがとうございます。日本人はもっとお米を食べたほうが良いよ。と思うんだけどね。それにしても、お米の消費量がこんなにも減った理由は掘り下げて考えてみたいね。洋食文化がはいってきたから、というだけじゃない気がするんだ。