エッセイみたいなもの

今日のエッセイ 「たべものラジオ」の本編からこぼれた話はどうしよっか。 2021年10月29日

2021年10月29日

「たべものラジオ」でこぼれた話。いろいろ調べて原稿には起こしたのだけど、本番で話さなかった内容があるのです。その理由は、あんまりおもしろくなかったり、両が多すぎたからだったり。
面白くないというと語弊ががるかな。個人的には面白いと思っているのだけれど、話の大筋には大した影響がなかったりすることも多くてさ。あくまでもエンターテイメントとして、楽しくしておきたいじゃない。たくさんのヒトに届けるというのも、目的の一つでは有るわけだから。

こういう時バランスってとても大切だなあと感じる。ぼくだけが面白いと思っていても、ダメなんだよね。料理に置き換えると「ぼくは美味しいと思っていてもお客様に美味しいと思ってもらえない」ということになるかな。ぼくらの仕事は「お客様に美味しいと思ってもらう」だったり、「お客様に食事が楽しかったと思ってもらう」というのが目的なんだよ。だから、美味しい料理を「つくる」ことは、その手段でしかないわけだ。

ここからがちょっとややこしい。
美味しい素材や、美味しい料理が並べられているだけではダメ。それだけでは本当に満足してもらうことが難しいんだ。これも美味しいし、これも良い。だけど、今日の献立からははずそう。そういう判断が必要なことも多い。ストーリーに沿っていないものは、本来美味しいものであっても、そう感じてもらいにくい。それに、両が多すぎると満足感が下がる。

これは、ぼくらがよくやってしまうありがちな失敗ね。きっと多くの料理人が共感してくれると思うんだ。例えば、こんなケースでやらかす。仲の良い知人が来店しているとか、イベントなんかで気合が入りすぎているとか、同業者の仲間が食事に来ているとか。
ホントはプロフェッショナルとしてはダメなんだけどね。気持ちが先走って、全体が見えなくなっちゃうんだと思う。特に多すぎるというのは、やりがちかも。

たくさん料理が出てくるなら良いじゃない。と思うかもしれないけれど、実際はそうでもない。提供された料理。特に、コース料理のように各人に分けられた料理は、残したくないという心理が働く。もったいないというか、申し訳ないというか、どんな心理なのかは心理学者に任せるけれど。とにかく、残したくない。
それに、コースの料理全部が並べてあるわけじゃないから、お客様からは全体感が見えづらい。始めのうちはお腹が減っているもんだから、出てきたお皿の料理を全部食べる。そうすると、料理人が量を間違えると後半になって食べられないということになる。

そうなると、満足感が下がる。
目の前に美味しそうな料理が提供されているのに、美味しいと感じられる状態で食べることができない。これは苦痛だよね。もし、それが大好物だったらなおのこと。だから、満足感が下がるどころか、マイナス評価になりうるのだ。
ひと皿ずつ提供するスタイルを「喰い切り料理」というのだけど。これは、何をどれだけ食べるかのコントロールが料理人の側に委ねられているということなんだよなあ。気をつけよう。

話がそれた。こうやって、こぼれていった料理たちは別の機会に召し上がっていただくことも出来る。お客様が来店してくれないことにはどうしようもないかもしれないけれど、前回の献立を把握していれば次の機会に提供する。
ラジオの場合。どうしようもない「こぼれ話」が出てしまうことがある。他のシリーズで紹介することがあるかもしれないと思えるモノは良いんだ。そうじゃないものがちょくちょくあってさ。こういうの、どうしたもんかなあ。聞きたい人いる?

今日も読んでくれてありがとうございます。そんなわけで、少しずつ「お蔵入りした話」は、このエッセイにポツポツアップしていこうかな。ラジオじゃないけれど、とりあえず文字で紹介してみることにするか。

  • この記事を書いた人

武藤太郎

掛茶料理むとう2代目 ・代表取締役・会席料理人 資格:日本料理、専門調理師・調理技能士・ ふぐ処理者・調理師 食文化キュレーター・武藤家長男

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