エッセイみたいなもの

今日のエッセイ 「なんか旨いもん食べたい」 2021年10月31日

2021年10月31日

外食をするときに、どうやって行く店を決めているのだろう。今日はフグを食べたいな。ということで、スマホを手に取る人もいるだろうし、行きたい店が先にあって食べるものは行ってからという人もいるだろうな。あと、とりあえず「なんかうまいもの食べたい」っていう人もいるよね。

お客様の話を聞いていると、「なんとなくうまいものを食べたい」という感覚の方もそこそこたくさんいるらしいという気がしている。食材はこれだ。という場合に比べて、なんともふわっとした話だ。そんなこと知らんと割り切ってしまえば良いのかもしれないけれど、料理人というのは応えたいという気持ちがあるから面倒な話だよ。

常連のお客様なら、好みだとかの傾向がわかればある程度は推測が立つけれどね。それも、その日の気分で変わる。「うなぎは好きなんだけれど、今日はそういう気分じゃないんだよなあ。もっとさっぱりしたものが良いんだよ」。というようなことは、誰しも経験が有ると思うんだよ。仮に「これなら毎日食べても飽きない!」というくらい好きなものがあったとしても、来店するたびに毎回同じだとつまらないしね。

「新しきこと、珍しきことが花である。」と述べたのは、能を確立させた世阿弥である。何も斬新なことをすればいいというわけじゃなくて、ほんの少しのニュアンスを変えていくことも含まれるのが「花」。
今日は日中少し暑かったので、いつもの煮物をちょっとさっぱりさせました。というくらいの「めずらしき」が「花」ということなんだろうな。このさじ加減が難しい。

こんなこと一組ごとにやってたら大変じゃない。と、思うかもしれないけれど。実際のところ、家庭だったらやっているんだよ。それも、大抵は無意識のうちにね。料理屋になると、途端にこれが難しくなるのだ。
まず、そもそも家族とは接している時間が圧倒的に違う。だから、食べる人の心情を読み取る時点で差が出るよね。その辺りを近づけていくことが、ぼくら料理人の勘所で、腕の見せ所でも有るわけだ。
もう一つ。ビジネスであるということ。なるべくならばクリエイティブなことをしないほうが利益が出しやすい。一種類しかメニューがない店というのが有るけれど、そのほうが利益効率が圧倒的に良いのだからね。これは、料理に限らずものづくりでは多く見られることだ。

なんとも面倒なビジネスだと思うよ。この辺りを楽しめる人じゃないと、下手に独立なんかしないほうが良いのかもしれない。うちは、割と面白がっているところがあるからね。大変だし、負荷もかかるけれど、まあ良いんじゃないかな。
実際に調理するよりも、考えている時間のほうが長いかもしれない。

今日も読んでくれてありがとうございます。「なんかうまいもん食べたい」は、「幸せな気分に浸りたい」の変形した表現なのかもね。「食事」を生活の「楽しみ」に。それが掛茶料理むとうの方向性だから、ぼくらの出番と言いたいよね。

  • この記事を書いた人

武藤太郎

掛茶料理むとう2代目 ・代表取締役・会席料理人 資格:日本料理、専門調理師・調理技能士・ ふぐ処理者・調理師 食文化キュレーター・武藤家長男

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