エッセイみたいなもの

今日のエッセイ 「変化の一年」なのか。 2021年12月31日

2021年12月31日

大晦日である。今日発信されるあらゆる情報媒体は、大晦日をテーマにしたものがほとんどだろうね。テレビやラジオ、SNSも新聞も、まあ大晦日をキーワードにするはずだ。そうなると、自然に「今年はどんな一年だった」ということを取り扱ったものが多くなる。
こういう現象が起きる「大晦日」「正月」というのは、とてもおもしろい。

そもそも、一年の終わりを今日ということにして、明日からは別の一年だということにしたのは人間社会の都合なのだ。そういうことにした。ただそれだけなんだ。一日繰り上げて今日から来年ということにしたって、別に自然環境にはさしたる影響など無い。さしたるというのは、人間が自然に対して様々にアプローチしているから、影響があるにはあるから。という細かいことはどうでも良いか。

太陰暦でも太陽暦でもグレゴリオ暦でも何でも良いのだけれど、1年の区切りは人類が勝手に決めたものでしか無い。そう考えると、大したことじゃないように思えてくるから不思議だ。

一方で、何十億人という人が「今日が一年の区切りだ」と信じていることは凄いことだよね。世界の宗教だって結構バラバラじゃない。言語だってバラバラだし、経済だってバラバラ。そういう感覚で言ったら、1たす1は2というのと同じくらいに信じている。みんなそれに従って生きているわけでしょ。その方がたぶんいろいろと都合がいいからだろうけれど、それにしたって凄いことだ。

なんでも無いようなモノ。道端に落ちている石なんかを、誰かが「これは特別だ」と言う。その石自体には意味なんかないんだけど、それを沢山の人が信じる。現代だけじゃなくて過去も含めれば相当な人数になる。そうすると、なんだかその石が本当に特別なもののような気がしてくる。いや、信じられている石として意味を帯び始める。
そんなようなことが、暦には込められているのかもしれない。
どうだろう。大晦日も正月もなんだかとてつもない意味を持っているように見えてきたのじゃないだろうか。

今年は変化の多い年だった。そういう表現が多くなるのかな。変化はもうずっとしているんだけどね。変化のスピードが早くなったなと感じ始めてから、もう随分と年月が流れたもの。かつては100年かかって移ろっていたものが、5年位になっているし。「今は変化の激しい時代だ。」と言う話は、もう数十年前から言われ続けているよね。出典を忘れてしまったけれど、戦前も戦後もコラムや挨拶には「変化」というキーワードが並んでいるのを見かけたことがある。
だからといって、「今年もなんともなかった。いつもどおりだね。」とは言い難い。やっぱり変化の激しい一年だったんだろうなあ。

そんなことを考えながら、正月を自宅で迎える人のためにお持ち帰りのフグ料理を用意する。今年もこれは変わらない。毎年注文してくれるお客様も相変わらずだ。ありがたいよね。

今日も読んでくれてありがとうございます。今年も一年ありがとうございました。明日からもよろしくおねがいします。なんだかんだと、結局一年を振り返ってるじゃん。斜めからだけどね。

  • この記事を書いた人

武藤太郎

掛茶料理むとう2代目 ・代表取締役・会席料理人 資格:日本料理、専門調理師・調理技能士・ ふぐ処理者・調理師 食文化キュレーター・武藤家長男

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