エッセイみたいなもの

今日のエッセイ 「1」と「2」と「3」の差分と、チームワーク。 2022年3月7日

2022年3月7日

「1」と「2」と「3」は、それ以上の数字と比べて、その差分が大きい。

一人では出来ないことが二人なら出来る。この差は大きいよ。そもそも、一人ではないということが大きい。その意味では、「0」を除けば「1」と「2」の間が最も大きな差があるように見える。

もう配信されているけれど、たべものラジオで「3」を試してみた。いままでは「2」だ。

おそらく、番組の性質上「1」では難しかったのかもしれない。youtubeやPodcastを一人でやっている人はスゴイよ。プロのラジオパーソナリティには、尊敬の念しかない。踏み込んだ内容を「1」で語り尽くすのは、わかりにくくなりそうだし、なによりぼくのテンションが全く上がらない。もっと静かに淡々と語っていたのかもしれない。

さて、今回の「3」の話だ。

いろいろと理由があって試してみた。基本的にぼくが拓郎(弟)に教える体で番組を作っている。その方がわかりやすいからだ。彼は、もともと歴史に全く興味がなかったから、歴史弱者である。それは、歴史学もそうだけれど、食のルーツについても調べる気もなかった。これがちょうどよいバランスで、ぼくがしこたま勉強して、勉強したことを伝えている。

けれども、時々無理がある。ということがわかってきた。

お互いに料理人なのだ。料理のアレンジやレシピ、最近の事情などの話になると「わかるわかる」「それって、こうだよね」と、合意がしやすいのだ。日常会話としてはとても楽ちんだし、共通見解は得られているので良いことだ。ただし、聞いている人が置いてきぼりになる。「本来あるべき会話の中間が抜け落ちる」という現象が発生する。

だいたい、料理人である以上は知っていなければ恥ずかしい内容もあるのだ。それを「知らないふり」をすると、彼の料理人としての価値が下がって見えてしまう。そして、「知らないふり」がわかりやすく「フリ」だとわかるのだ。直接本人を知っている人からすると、ムズムズするらしい。

ということで、第三の目が必要なのではないだろうかと考えたわけだ。

さて、実際に収録をしてみてどうだったか。めちゃくちゃ大変だった。なにせ、既に「2」で60話以上やってきたのだ。まったくもってリズムが掴めない。どのタイミングでどのように絡むのか。あまり事前の打ち合わせをしなかったこともあるけれど、打ち合わせをしっかりやったところで難しかっただろう。

会話は、身体性をともなうスポーツにも似ているからだ。

相変わらずぼくがメインで解説をするのだけれど、二人の相槌をどのようにするかが難しい。間のとり方がわからなくて、探り探りだ。3人が均等に話すには、どのような間であればよいのか、今の段階でもわからない。これは、かなりたくさんの会話を重ねておかないと厳しいのかもしれない。

チームスポーツで、それぞれの技術が優れていても、結局はチームとしての連携が大切なのはこういうことなのだ。お互いの呼吸を、頭ではなく体で理解していること。そのための練習をたくさんしておくことが大切なのだ。

今回の収録はぶっつけ本番。つまり、練習不足だ。チームに新メンバーを迎えるのであれば、それ相応の練習が必要。しかも、メンバーの入れ替えではなく、増加。システムそのものが違うわけだ。そこからして再構築が必要だという、ある意味アタリマエのことに気がついた。

今日も読んでくれてありがとうございます。それにしても、拓郎の相槌は上手だったんだなあ。編集しながら、リアクションをとるタイミングや内容を研究していたらしい。確かに話しやすい。ぼくも、ちゃんと聞き直して工夫しなくちゃ。

  • この記事を書いた人

武藤太郎

掛茶料理むとう2代目 ・代表取締役・会席料理人 資格:日本料理、専門調理師・調理技能士・ ふぐ処理者・調理師 食文化キュレーター・武藤家長男

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