エッセイみたいなもの

今日のエッセイ それのそれ性ともの派。 2022年2月17日

2022年2月17日

アートの世界に「もの派」という動向があるそうだ。ぼくも最近知った言葉なのだけれどね。写真で見てみたら、ああこれのことを言っているのかというくらいには見たことがあった。なんとなく好きなんだよね。詳しいことはわからないけれど、好き。

どこかの写真で見たことがあったのが、でっかい円柱。それが地面にドンっとただ「ある」だけ。その脇には、まるで型抜きでくり抜いたような円柱と同じ形の穴。大地をそっくりくり抜いたように見える。さっき改めて探してみたら、「位相-大地」という関根伸夫という彫刻家の作品だということがわかった。

他にも、芝生が丸くえぐれたような作品がある。まるで、芝生の一部が回転ドアのようにクルンと周りかけているように見える。どうやらこれも関根伸夫氏の作品らしい。

アートに関しての造形など無いので、語るのははばかられるのだけれど。なんだか、素材がスゴイなと思ったんだ。大地を使ったということを言いたいのじゃなくて、その素材を見せる感覚が良いなとね。「それのそれ性」というのかな。大地の大地らしい部分を引き出して、見せる。そんな感じが面白いと思った。

スゴイパワーだなと。

素材をあれこれいじるのじゃなくて、一手で引き出すってのがまた面白い。ごちゃごちゃといじらない。なんだか日本料理にも通じるところがある。

刺し身。これは、究極のシンプルな料理だ。とにかく切身にするだけ。ただ、その魚の「らしさ」を思いっきり表面に出すために、下ごしらえをしっかりする。食べる人が気が付かないくらいの地味な作業をちゃんとやる。そしてシンプルに「切る」のだけれど、それも舌触りとか大きさとかのバランスを取って、温度も整えて提供する。

おにぎりなんかもそうだよね。ご飯を炊いて握るだけ。実にシンプルだ。最近では塩おにぎりというらしいのだけれど、まあ具なしの昔からあるおにぎり。あれなんか、具すら無いのだからね。ほんのちょっとの塩加減と握る加減、それからご飯の炊き加減、そういったものの工夫でお米の味を際立たせる料理。

それのそれ性。ってのはそういうことなんだろうな。

ぼくは、根っからの料理人というわけじゃない。本格的に料理をやるようになったのは、ずいぶんと遅いほうだ。だから、もの派のアートを見て素人ながらに良いなあと感じているのは、料理以外のどこかに根っこがあるのかもしれない。日本人だからかな。

日本文化には、素材そのものを引き立たせるという究極のシンプル美が存在する。

そう言えば、千利休が大成した「侘び寂び」なんかも変わっているよね。同時代の西洋には見られない傾向だし。だって、枯れちゃってるんだよ。寂びってそういうことだもの。それがまた味わい深いよねって。滅亡した奥州藤原氏の遺跡を見て、夏草や兵どもが夢の跡ってのと通じるでしょ。朽ちちゃっているのだけど、その寂しさがまたたまらないって。

この、手がかかった部分とかかっていない部分のギリギリの感じを「美」とする感性が、日本文化にはずっとあるんだろうなあ。でね。ぼくみたいな門外漢でもその影響を受けながら生きているってところが、また味わい深いんだよなあ。

今日も読んでくれてありがとうございます。素材にこだわるっていうのが、日本人に多いらしくて。男性に多いのだけど、ダサいファッションなんだけど素材だけは良いみたいなこともあるみたい。そのへんはバランスだろうけどね。

  • この記事を書いた人

武藤太郎

掛茶料理むとう2代目 ・代表取締役・会席料理人 資格:日本料理、専門調理師・調理技能士・ ふぐ処理者・調理師 食文化キュレーター・武藤家長男

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