エッセイみたいなもの

今日のエッセイ たべものラジオこぼれ話。 お米と神道、経済のはなし

2021年11月1日

たべものラジオからこぼれた話です。
お米、稲作が日本文化を作ったという話をしたのだけれど、その中で全く触れなかったところがいくつか有るので紹介します。

宮中祭祀の中に、新嘗祭(にいなめさい、にいなめのまつり、しんじょうさい)というのがあるね。天皇が神様に対してお米の収穫を感謝するものだ。伊勢神宮では天皇が執り行って、同じ日に全国の神社でも行われる。日付は11月23日だから、もうすぐだ。
新嘗祭は宮中祭典の中でも、最も重要なものとして位置づけられている。他にも2月17日に行われる祈年祭(きねんさい)は、豊穣祈願の祭典だし、神嘗祭(かんなめさい)は10月17日の朝に行われる新穀収穫を感謝する日だ。
実は日本は長い間、天皇を中心として「くに」を作ってきた歴史があるのだけれど、その役割に稲作への感謝があるんだよね。弥生時代から続いてきた行事とされているけれど(諸説あり)、それだけ稲作とお米を中心に社会を作ってきたということだね。

そう考えると、神道の最高神が天照大御神(あまてらすおおみかみ)という太陽神であることも合点がいく。太陽の恵みで五穀豊穣が成り立つんだからさ。ちなみに、伊勢神宮の外側(外宮)には、豊受大神(とようけのおおかみ、豊受姫命)が祀られている。ウケというのは、食物のことを指し示す言葉だ。つまり、食物が豊かであることを象徴する神様ということね。神社の中心地である伊勢神宮が、太陽と食べ物を祀っているということが、極めて象徴的だよね。

新嘗祭では、神様に新穀を備えるだけじゃなくて、天皇もそのご飯をそこで食べる。共食だね。神様と一緒に食事をすることで、相互の距離感を近づけるような感覚だ。ほら、ぼくらも誰かと仲良くなろうと思ったら一緒に食事に行ったりするじゃない。共食=一緒に食事するということは、人と人とのつながりを深く強固にするんだってことが、超古代からずっと大切にされてきたんだと思うと感慨深いよね。

続いて、米と経済の話。まず最初に、単位の話ね。これは、カットしたんじゃなくて、しゃべるのを忘れてしまったんだけど。「石」という単位が有るよね。百万石とか。これは、その国で生産される米の量のことを言っているんだ。じゃあ、一石はどれくらいかというと。1石=10斗=100升=1000合=10000積という換算になる。お米を図るときに、一合枡を使っていると思うんだけど、というかプラスチックのカップか。そのカップで1000杯分が1石ね。で、この1石と交換できるお金を1両と定めている。

逆の言い方をすると、1両の価値は1石と同等と決められたわけだ。これは、お米の価値が下がると、1両の価値も下がるということを意味するよね。お米を作りすぎて価値が下がっていくと、1両の価値も一緒に下がる。そうすると、今まで1両で購入することが出来ていた品物が買えなくなる。つまり物価が上昇する。そんな仕組みを使っていたのが、米本位制ということなんだ。
ラジオの中では、この米本位制についてはあまり深く話さなかったんだけど、少し分かりづらかったかもね。実際はこんな感じ。

ちなみに、江戸時代の早い段階からお米の取引を専門に行うマーケットが発生している。現代の株式市場みたいに、お米券や米札といったものを売り買いしていたんだよ。完全に投資対象。お米そのものは、大名屋敷の蔵に置いたままで、その米と交換することが出来る権利を売り買いしていた感じだね。
大坂の堂島米市場(米会所とも)では、先物取引まで行っているんだよ。来年の収穫予定分の券を売り買いしている。これは「米と交換することが出来る権利」に置き換えたからこそ発生したことだよね。ちなみに、世界初の先物取引の事例として経済学では知られているらしい。厳密には現代の先物取引とは仕組みが少し違うとは思うんだけどね。

今日も読んでくれてありがとうございます。お米を知るということは、日本文化そのものを知るということにもつながっていくから面白い。ちなみに、新嘗祭の日を現代では勤労感謝の日として祝日にしているよね。神様じゃなくて、穀物を作った人に感謝する日、転じて一生懸命働いてるみんなに感謝する日になっている。どうやら、戦後のGHQの思惑が働いているんじゃないかと勝手に思っている。神道や天皇と国民の精神的な繋がりを断つためにね。

  • この記事を書いた人

武藤太郎

掛茶料理むとう2代目 ・代表取締役・会席料理人 資格:日本料理、専門調理師・調理技能士・ ふぐ処理者・調理師 食文化キュレーター・武藤家長男

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