エッセイみたいなもの

今日のエッセイ とかく面倒くさいクセ 2022年1月10日

2022年1月10日

どうやら、ぼくはすぐにつまらないボケを入れてしまうらしい。後から振り返ってみても、ホントにつまらないものだ。とかくめんどくさいやつだ。
いってらっしゃいと見送ったばかりの人が、うっかり忘れ物を取りに戻ると「おかえり。早かったね。」ですら定番のボケなのだけれど、さらになにかかぶせてしまうらしいのだ。

らしい。
自覚が無いからたちが悪い。最近妻に言われて気がついたくらいのことだ。
毎日毎回こんな調子だと、まあ受け答えする方も疲れるんだろうね。毎回ちゃんと話に乗ってくれる妻には感謝である。そんなところに感謝するくらいならやめたら良い。

だが、これは止まらないのである。
大したことじゃないから、別にスルーしてもらって構わないわけだ。ツッコミなんかもなくていい。どちらかというと、乗ってくれた方が嬉しいのだけれど、それもなくても良い。
やめる気が無いからねえ。

自分を鑑みて冷静に考えてみると、いくつかの理由があるのかもしれないと気がついたんだ。
ひとつには、いつも機嫌よく過ごしたいと思っているから。そしてもう一つには、瓢箪から駒の経験が忘れられないからだろう。

誰だって、いつでも機嫌よく過ごしたいと思うだろう。イライラしながら生きていくのは辛いからね。でも、まあ失敗したり、誰かの言動に傷ついたりと心は不安定なのがデフォルトなわけだ。
そんなときに、ちょっとしたボケをかましておくと他人事のように笑いながら生活が出来るんじゃないかと思ってね。観客がいるわけじゃないけれど、だからこそ自分たちだけが面白かったらそれで良いわけだ。もっと言ってしまえば、おもしろくなんかなくても心が軽いままでいられたらそれでいい。

失敗をネタにすれば、責められることも責めることもいらないよね。ちっちゃな失敗なんて誰だってあるわけだからさ。いちいち怪我させてる必要もないじゃない。笑っとけ。ってね。
他人事にしちゃえば、冷静に見られるしさ。

もう一つの瓢箪から駒なんだけどね。
誰かがボケたとして、そのボケの部分を発展させるとうか、まあ乗っかるわけだ。そうすると、時々「あれ?これ実際にイケるんじゃない?」という瞬間がやってくることがある。
ホントに時々程度だけどね。

ボケるというのは、発想の飛躍である。ツッコミというのは、飛躍した発想を現実に引き戻す行為だ。
このくらいの小さい画面を持ち歩いて、電話とインターネットが出来るようにならんかと思ってるんだよね。んな無茶なことがあるかいな。もしかしたら数十年前だったら、これはボケとツッコミだったのかもしれない。色んな人が乗っかりまくった結果アイフォンが生まれたわけでしょ。

発想を自由にするための手段として、ちっちゃなボケを常駐させているのかもしれないんだよなあ。実際、そんな流れで旅行の行き先が決まったりすることは今でもよくある。そもそも結婚披露宴がそんなんで決まっていった夫婦なのだ。

今日も読んでくれてありがとうございます。お願いがあります。これを呼んだからといってぼくに笑いを求めないようにね。人を笑わせられるような代物じゃないのだよ。

  • この記事を書いた人

武藤太郎

掛茶料理むとう2代目 ・代表取締役・会席料理人 資格:日本料理、専門調理師・調理技能士・ ふぐ処理者・調理師 食文化キュレーター・武藤家長男

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