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今日のエッセイ まちづくりにおける「情報発信」にありがちなこと。 2022年3月25日

2022年3月25日

まちづくりの話を聞いていると、いとも簡単そうに「情報発信」というキーワードが飛び交っている。いや、気持ちはとても良くわかる。よく分かるんだが、そうそう簡単なことじゃないと思うんだよなあ。そもそも、情報発信で簡単にバズるようなら、今頃youtubeやポッドキャストは仕組みが崩壊しているよ。誰でも簡単には出来ないことをやっているからインフルエンサーがスゴイんじゃ。

インフルエンサーになろうよ。という話をしたいわけじゃないんだ。

たべものラジオなんて、小さな趣味の世界を拡張したようなメディアをやっていて。これはこれで、そこそこに楽しみながら誰かの役に立てば良いと思っているくらいのものだ。とはいえ、それなりに労力がかかっていて、会社としても一つの事業としてみなしている。会社としては採算のとれない事業なのだから、事業として考えるのはおかしな話かもしれない。けれども、そのくらいの覚悟をしていないととても続かないのだ。

観光だったり、物産だったり、まあ何でも良いのだけれど、市役所や関連団体は「情報発信が足りない。だから、もっと強化する」という話をしがちだ。であるのならば、それなりの予算をつけなくちゃいけないだろうとは思う。市の職員が片手間にインスタにアップするくらいでは、基本的に厳しい。ラッキーパンチが当たることもあるけれど、ラッキーパンチは運任せ。継続するものじゃないだろうからね。

緑茶で乾杯の取り組みは、一般消費者が勝手にインスタにアップしたくなる環境づくりをテーマに据えた。まったくもって想定した状況にはなっていない。現時点で評価するなら、失敗なのだ。発起人が言うのも申し訳ない話だ。これは、各種リソースが足りていない。もうひと押しふた押しくらいの労力をかけて、軌道に乗るところまで進めないといけない。

スタートするところから、少し走り出したくらいまでしかやっていない。あとは惰性。そりゃ拡大しないよねえ。という反省。まだ停止するわけじゃないから、息の続く限りはゆっくりでもいいから進めていくよ。

さてと。

基本的に、情報発信の考え方が間違っているのかもしれないよ。出来上がった製品情報をアップするだけじゃ見てもらえない。人間は見たいものしか見ないのだ。誰がわざわざ市役所や観光協会のホームページを見に行くのよ。

行政関連の情報が欲しい時に、住んでいる町の役所のサイトを見る。訪れたいまちの観光情報をリサーチしていたら、たまたま観光協会のサイトに行き着いた。全部じゃないだろうけれど、こういうパターンが多いんじゃないかな。

つまり、「見たい情報の脇に関連情報が置いてあるからついでに見る」のである。だから、テレビ広告やアフィリエイトに繋がるわけだよね。

もし、上記のフォーマットじゃないとしたら、どうするんだろう。発信する情報を「見たい情報」に「変換」する必要があるということになるね。

例えばお茶だとして、その製品だけ並べられてもね。困るわけだ。そういう情報はECサイトに腐るほど並んでいる。生産者情報も大抵はそこにある。じゃあ、いったい何が良いのだ。教えてくれよ。とぼくに言われても困るんだ。ある程度の仮説は建てるけれど、じゃあそのとおりになるかって言うと、絶対にならない。絶対にだ。検証しなくちゃどうしようもない。やってみて、なにかヒントを掴んでいくことで精度が上がるものだからだ。

ということで、こういった細かく地道な正攻法の努力をせずに「情報発信を頑張る」だけでは、まぁ難しいということで。そう思ったら良いと思うんだよ。自分だけでやろうとすると難しいなら、ちゃんとコンペティションで募集したら良いんじゃないだろうか。審査委員ならやるよ。名ばかりコンサルにお金を使うのは、一市民として賛成できないからね。

今日も読んでくれてありがとうございます。情報発信だけで、一つの会社が立ち上がるくらいの規模になるのだろうな。やるなら、ちゃんと駆動させられるだけの予算をつけて体制をつくらないと厳しいのではないかと思う次第です。

  • この記事を書いた人

武藤太郎

掛茶料理むとう2代目 ・代表取締役・会席料理人 資格:日本料理、専門調理師・調理技能士・ ふぐ処理者・調理師 食文化キュレーター・武藤家長男

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