エッセイみたいなもの

今日のエッセイ もしも○○だったら。2021年11月18日

2021年11月18日

何年か前に、「もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら」という長いタイトルの漫画が流行したことがある。通称「もしドラ」。略語だけ聞いたらなんのことだかさっぱりわからない。
読んだことなんか無いのだけれど、タイトルだけでも想像はつくよね。ドラッガーのマネジメントを読んだことがあればだけど。まあ、内容については今日の話と関係ないので放置する。

今日の話は「置換思考」
自分が見聞きして蓄えた知識を、どう活かすかということだ。学校の授業で知ったことや、講演会で知ったことは、活かし方次第という部分も有るんだよね。いや、全く時間の無駄だったってこともあるけどさ。既存の知識の範疇を超えない場合とか、汎用性がとてつもなく低いとか。
部分的には使えるけれど、そうじゃない部分が多い講演というのは活かしようもあるけれど。まあ、費用対効果は低いのか。

料理屋を経営してて、料理を作っていて。それとは全く無関係の業界の人の話を聞いたとする。なんでも良いのだけれど、携帯電話業界の話としてみようか。なんの脈略も無いような気がするよね。それを知ったところで新しい料理を思いつくようなアイデアの源泉になるのかというと、難しいかもしれない。だけれども、可能性もあるかもしれない。
それは、携帯電話の基地局設置の話かもしれないし、端末の進化の話かもしれない。もしかしたら、組織の話かもしれない。どこにフックを掛けて、自分の身の回りのものに置き換えるか。そういうことを日常から繰り返していくと面白いと思うんだよ。

そういうことを考えるにあたっては、自分の所属する社会と相手の所属している社会の違いを見比べてみる。ぼくのいる社会の中ではこう考えるんだけどなあ。なんだか違う思考法をしているよね。これってなんでだろう。そちらの社会はどうなっているのかな。
まあ、そんな具合に想像していくわけ。そうすると、何かが見つかることがあるかもしれない。お互いの社会の良いところや歪みたいなところが見えるとか。
それ良いね。となって、転用することが出来るかもしれないじゃない。

ぼくが学生の頃は、自己啓発のセミナーなんかが頻繁に開催されていた時代。はしりの時代だね。思考は現実化するという書籍が発売された頃だ。もちろん、ぼくは中学生くらいだったからセミナーが学校で開催されるようなことはなかった。ただ、父の申し込んだセミナーに父が参加できないと、代理でセミナーに参加することがあったんだ。もう、がっつり経営の話。組織の運営方法だったり、人心掌握だったり、学びの機会の創出だったり。まあ、さっぱりわからない。わかるわけがない。当てはめる先の「自社」が無いんだから。

ということで、何をしたかというと。自分が所属してる組織に置き換えて考えるということをした。中学生が所属している組織なんて限られているよね。学校、学級、部活、趣味のバンド。その程度だ。だから、まさに「もしドラ」みたいなことを空想していたんだろうね。実践はしなかったから、あんまり意味がないのかもしれない。だけど、理解することの役にはたった。自分の社会に置き換えているからさ。もしそれを部活で実践したら、どんな反応が起こるだろうか。くらいなら、想像がつくじゃない。

そうやって考えていくと、比較的理解しやすいし、質問したいポイントも出てくるんだよね。高校生の頃に一度質疑応答で挙手したことがあるんだけど、めちゃくちゃ目立ってただろうなあ。誰だお前。みたいな感じ。
こんなことは偉そうに語るような内容でもないし、わかっている人はみんな当然だと思っているだろう。ただ、学生時代に学ぶ内容について疑問を持っている子どもたちには、置換思考の話もする。というだけのことだ。

今日も読んでくれてありがとうございます。置換思考と学習率。そんなことを考え始めたのはいつ頃だったかな。言語化したのは遅いと思うけれど、どうなんだろう。ばあちゃんがよく「なんでも一緒だよ。つきつめれば」みたいなことを言っていたから、そういうところから始まってるのかもね。

  • この記事を書いた人

武藤太郎

掛茶料理むとう2代目 ・代表取締役・会席料理人 資格:日本料理、専門調理師・調理技能士・ ふぐ処理者・調理師 食文化キュレーター・武藤家長男

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