引き続き、コミュニケーションの話を続けてみようと思う。昨日と一昨日の話がくっつくとどうなるかな。と思ってさ。
コミュニケーションの目的はコミュニケーションそのもの。という話をした。そのための手段としての「会話」だ。「会って話すこと」なのか「話を会すること」なのか、まぁ語源はよくわからない。手元に「語源辞典」があるので調べてみたのだけれど、掲載されていなかった。語源はどうでもいいか。
言葉を使ったコミュニケーション以外にもコミュニケーションの手段はある。身振り手振り、表情、立ち居振る舞い、スキンシップ、歌う、踊る、などなど。ひっくるめてノンバーバルコミュニケーション。言語以外のコミュニケーションのことをノンバーバル・コミュニケーションというのだ。ホントは言語の方が後になって登場したのだから、バーバルに対してノンバーバルという表現はどうなのかというところだが、これまたどうでもいいか。
猿はコミュニケーションの手段としてグルーミングを行う。グルーミングというのは、毛づくろいとかノミ取りとか、そんな感じの行動だそうだ。詳しいことはよくわからないけれど、猿を撮影した映像ではよく見かけるので、たぶん皆さんの脳内に想起されたもので間違いないだろう。
グルーミングそのものには、大した意味はない。無くはないのだけれど、コミュニケーションで伝えたいことはディスカッションほどの情報量は無いよね。コミュニケーションのためのコミュニケーションであって、グルーミングはその手段だとうことだ。
人類学者のロビン・ダンバーによると、猿にとってのグルーミングは生活集団の維持形成のためにとても重要なのだそうだ。ダンバー数という数字を提唱したのも彼だ。ダンバー数というのは、直接コミュニケーションが取れる集団の最大数というのが一般的な理解だろうか。この数字を超えると、自然に集団は分化して2つの集団になっていく。
ダンバー数は動物によって様々で、もちろん個体差もあるらしい。人間の場合は150~200くらいだっと思う。調べれば良いのだけれど、めんどくさいし重要ではないので先へ進む。
ダンバー数を定める要因として、大脳新皮質が大きいかどうかというような物理的なこともある。それと同じくらいに重要な要素として、グルーミングが存在している。コミュニケーションの時間数が多いほうがダンバー数が大きい。ひとつでまとまっていられる集団の最大値が大きいということだ。これは、動物の集団としての強度、生き残るための力などに直結することだから、当然大きい方が生物として有利だということになる。
人間ほどではないにしろ、猿だって言語を持っている。にも関わらず、集団維持のために最も重要なのは会話ではなくてグルーミングだとしているのが興味深い。
ロビン・ダンバーはその著書の中で「言語は安価な社会的グルーミングの手段」としている。人類社会の創成期から「言葉」は「コミュニケーションの手段」だって。というような話なんだろうね。
今更だけれど、ロビン・ダンバーの本を読んだことはない。断片的に入ってくる情報を繋ぎ合わせているだけだ。ぼくの思考によって創造しているにすぎないので、ちゃんと知りたい方は書籍にあたって欲しい。
あくまでもコミュニケーションとはコミュニケーションそのものが目的である。そして、回数や時間などの物理的交流がその濃度というか成果を担保している。ということになる。だとすると、コミュニケーションは時短しちゃダメなのだ。内容よりも、接触している時間が大切。回数が必要ということになる。
今日も読んでくれてありがとうございます。お酒を飲みながらのコミュニケーション。通称ノミニケーション。ある意味グルーミングだ。酔っ払っていたら、内容なんかよくわからないし、それぞれの話が噛み合っていなくてもなんとなく意気投合できちゃったりする。そのくらい、言語の力を削ぎ落としてしまっている。ここが大事なんだろうな。言葉が邪魔なのだ。