常に強くあろうと頑張っている。というような精神論を耳にする事がある。少ないけれどね。マキャベリの君主論やらフリードリヒ2世の「君主とはこうあるべき」という本を読むと、まさにこれそのものだ。秦の始皇帝も似たような感じだよね。鉄人なんだろうなあ。
ちょっと別の視点で考えてみる。人間ってどのくらいまで強くなれるんだろうってね。ドラゴンボールの孫悟空とかワンピースのルフィなんてのは、超人だよね。そもそも、悟空は地球人じゃなかったか。ルフィは地球人だけど、悪魔の実を食べて特殊能力を手にしているんだものね。まぁ、漫画の中の登場人物には、過激なほどに強靭な人類が描かれている。
ドラゴンボールの中にも、一応一般人が描かれているか。確か、猟銃をもった男性の戦闘力が5だったかな。そんな感じね。あれが普通なんだよね。現実社会では。
動物園に行って、檻の向こう側にいる動物たちに、僕ら人間は勝てない。ほとんどの動物には喧嘩で負けるんだよ。猛獣はもちろんだけどさ。キリンに勝てる気がしない。チンパンジーだって、握力がヤバいレベルの強さなんだって。身近にいる犬や猫だって、中型犬くらいになるととても勝てないよね。圧倒的に動物のほうが強いんだ。
比較的小さい動物だったらなんとかなるかもしれない。リスとかね。ネズミくらいのサイズだったらイケるかもしれない。でもさ。あいつら、群れでいることが多いんだよね。ちっちゃいやつほど群れるのよ。水族館で見たイワシの大群なんかさ、一匹ならどうということはないけど、あの塊で本気で体当りされたらこっちがぼろぼろになる。
そうそう。そう考えると、ちっちゃい動物だって強いよね。単体が弱いことをちゃんと知っているから、群れで戦うんだ。アリとかクモとか、ウィルスなんてのもそれにあたるのかな。
元々、ホモ・サピエンスは群れでいることが大切な生き物。ダンバー数を超えるような大きな群れを形成できることが大きな特徴なんだって。サピエンス以外のホモ族は最大でも150人くらいが群れの限界だったらしいのね。だけど、サピエンスだけがそれ以上の群れを成すことが出来た。だから、自然淘汰されて我々ホモ・サピエンスだけが、唯一の人類として生き残っているわけだ。
なんでこんな話になったのかというと、歴史を学んでいるときにふと思ったのよ。人類史って、基本的にどれだけ大きな群れを形成できるかってことを、ずーっとやっているんだって。国を大きくするって、そういう側面もあるでしょう。農地の獲得でもあるけれど、結局はたくさんの人口を束ねて養うことのためにある。大きな集団を維持するための機能だとも言えるよね。
それぞれの時代に、それぞれの社会があって、それぞれの立場や環境があるから方法はいろいろだ。論破する人もいるし、腕力でまとめる人もいる。見た目の良さや、知性や、コミュニケーションや、ありとあらゆる方法を駆使して集団を形成する。そういうもんなのかな。
孔子の論語はちゃんと読んでないんだけど、基本的には人徳による統制みたいなことを言っているんだよね。メチャクチャ乱暴に言ってしまうと、あの人のことが好きだからっていう状態にしましょうってことだ。素晴らしい人であることと、能力が高いこととは別物。これは言い過ぎか。でもさ。実際に現代社会にはそういうことがたくさんあるんだよね。
大きな群れを成したほうが結局強い。でも、それってサピエンス同士のバトルなんだよね。サピエンス全体で見れば、すでに地球上で最強クラス。銃やミサイルなんてなくても最強。まとまりさえすればね。この強さをどう使うか。何に役立てるか。なんだろうな。
今日も読んでくれてありがとうございます。特になにか主張したいことがあるわけじゃないんだけどね。いろいろ本を読んでいるとそんな気がしたっていうだけの話。