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今日のエッセイ ザ・日本酒の誕生は国家事業だった 2021年6月27日

2021年6月27日

前回は日本の古代におけるお酒の話をしてきました。奈良時代に入ると、急に産業として加速していくことになるんだよね。現代に続く酒造りの基礎はこのあたりからになるかな。

奈良時代は天皇家を中心とした国家政府が出来始めた頃だね。奈良から京都に首都が建設されて律令国家が成立したり、遣唐使が中国へ渡り、最澄や空海が登場した頃だ。この頃になると、酒造りは国家事業になる。宮廷のなかに「造酒司(さけのつかさ、みきのつかさ)」という役所が設置される。ここで技術が急速に発展していくのは、やっぱり国家権力というパトロンがいたのが大きいだろうね。
今でもそうだけど、加工技術の発展にはそれなりの資本が必要になるし、時間もかかるし、人も必要になる。なによりも、知見を集約することが出来るということがとても重要だ。まだまだ識字率の低かった時代に、これだけの条件を揃えることが出来たのは、国家が後ろ盾になっていたからだと言えるかもね。

この時代に、実は日本独自の酒造りの技術が革命的に生まれることになる。その製法が世界的に見ても珍しいということを知るのは、近代になってからのことなんだけど。その技術というのが「麹」だ。といっても麹そのものは他の国にも見られる。だってカビだからね。中国の紹興酒やネパールのチャンという酒も麹を使った酒造方法だけど、一般的なのは「粉にした穀物を団子状にしたものにカビ付けする」方法。ところが日本では「お米そのものにカビ付けする」方法がとられた。

この時代には中国王朝との交易があったのだから、同じ手法になっていてもおかしくないんだけどね。日本流のやり方が定着したのは、好みの問題だったのか経済的な問題だったのか、この部分は不明だ。コスト的に、粉にするのは工数がかかるから省いたという見方もできる。だけど、国家が後ろ盾なわけだし並々ならぬ情熱を掛けている様子が伺えるから、味の問題だったのかもしれないね。

同時に、ちゃんと濾過されるようになってきている。もうこの頃からちゃんと液体の飲み物だ。なんなら、低温殺菌技術も奈良時代の発明だから、西洋で発明されるよりも300年くらい前にはあったんだって。

ちなみに、同時代に中国から麦芽の文化が日本に入ってきている。中国では古代ビールも作られていたことを考えると、日本にも製法が伝わっていたのかもしれない。にもかかわらず、どちらの国もビールは発展しなかったというのも興味深いね。麹を使った酒のほうが好まれたから、ビールは流行らなかったっていう記述もあった。平安時代には麦芽と米麹を使ったお酒「三種糟」も発明されているから、よっぽどビールとは合わなかったのかも。「とりあえずビール」と、メニューも見ないで注文する現代の日本とは大違いだ。

ところで、なぜ国家が酒造りを推していたかだけど。お酒はやっぱり神事には欠かせないものだったからだ。なぜ宗教と結びついたかという部分は、あとで改めて書くことにして。ここはそういうものだと思っておいて欲しい。神事とお酒。今でも神様へのお供えだったり、お清めとして用いられているよね。同じようにして、宮廷の儀式には欠かせないものだったんだ。この時代の儀式は、現代の感覚とは異なる。古代は、実際に国政そのものとして捉えられていたんだ。流行り病は悪霊のせいとされていて、それがこの時代の常識としていた。長岡京から平安京へ遷都されるのも「国を滅ぼす悪霊」から逃れるためだし、最澄や空海が仏教を学びに唐へ渡るのも、国防を強化するためだった。それくらい「宗教」というものが、国を治める総合学問として成立している時代背景がある。国を治める事業に必要なツールである「酒」の生産に国家が携わるというのは、当時としては自然な流れだったということになるね。
だから、一般庶民にはお酒は流通していない。あくまでも儀式に使用することが目的だったから、その恩恵に預かれる人たちだけの間で嗜まれていた。とはいえ、貴族が酔って和歌を読むなんてことも記述に残っているから、儀式以外でも飲むことはあったんだろうね。

寄り道したら、本日分のボリュームが良い感じになってきてしまった。日本酒と同時に発展したワインのことも書きたかったんだけど、これは明日のエッセイにするよ。
今日も読んでくれてありがとうございます。ちょっと歴史の授業みたいになっちゃいましたね。

  • この記事を書いた人

武藤太郎

掛茶料理むとう2代目 ・代表取締役・会席料理人 資格:日本料理、専門調理師・調理技能士・ ふぐ処理者・調理師 食文化キュレーター・武藤家長男

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