西洋のお酒の代表としてワインを取り上げています。長いよ。お酒が人類に多大な影響があるって話から始まったんだけど、もう半月くらい書いているもんね。
ワインのこととなると、どうしてもフランスを避けては通れないのでフランスを中心に語ることになる。いわゆる旧世界の代表だ。でも、ジョージアをスタートに考えると、地中海をなぞるように西に向かう流れだけの話なんだよ。ギリシアもローマもスペインもフランスも全部。ほんとはアルプスの北側にも文化が広がっていくんだよね。その流れと北欧文化との融合も掘り下げると面白い。のは分かってるんだけど、もう相当長いので別の機会に書くことにしようかな。
西に向かう流れと新世界を眺めていこう。ボルドー、ブルゴーニュの他にもフランスには有名産地がいくつもある。全部あげるとキリがないから、シャンパーニュ地方だけ紹介しておくね。言わずと知れた「シャンパン」は、「シャンパーニュ地域でシャンパンを名乗ることを認定された」というスパークリングワインだけの名称だ。掛川深蒸し茶は、掛川産のお茶で作った深蒸し茶のことを指しているわけで、他の地域のお茶を「掛川茶」として売っちゃだめよ、という話と同じこと。なんだけど、シャンパンとスパークリングワインの違いを知らない人も結構いるみたいね。
1668年シャンパーニュ地方のオーヴィレール修道院の酒庫係になったのが「ドン・ペリニヨン」さん。この人がいなければ、今のシャンパン文化は違った形になっていたかも知れない。元々エジプト時代から発泡性のワインは存在していたらしい。というのも、ワインが出来た後もう一度発酵することでスパークリングワインになる性質を持っているから、自然に出来ることもあるんだ。日本酒でも微発泡性のものがあるよね。紀元55年10月25日に書かれたエジプトのパピルスにもその事が書かれているし、詩人エルペネーも1320年の詩の中で「澄んで輝き、力強く繊細でフレッシュ、舌の上で泡立つ」と書いている。
ドン・ペリニヨンの功績は、主に「スパークリングワインの旨さ」を見出し、それを作り出す「製造方法を確立」させたことだ。ある程度の製法は100年くらい前にフランスのラングドック地方にあって、ドン・ペリニヨンはそれを学んでシャンパーニュに持ち帰ったと言われている。ちなみにラングドック地方には今でも有名な「クレマン・ド・リムー」というスパークリングワインがある。
これが後に有名になった、「ドンペリ」だ。修道士の名前だったんだね。ボルドーはシャトーの名前、ブルゴーニュは畑の名前、シャンパンは人の名前か。
もう一つ有名な「モエ・エ・シャンドン」も人名由来。クロード・モエがシャンパーニュ地方からパリに出荷していてた。シャンパンがメチャクチャ人気が高くてよく売れることに気がついたフランス国王のルイ15世は、もっと作って輸出すると言い出す。それを命じたのがモエ家だ。クロードから見てひ孫の頃には今の名前で世界的なシャンパンに数えられるようになった。ちなみに「シャンドン」はひ孫の婿の名字がシャンドンだったことからついている。
さっきの「ドンペリ」はモエ・エ・シャンドン社が作っていて、ドン・ペリニヨンさんの名前にちなんで名付けられたもの。ドン・ペリニヨンさんが会社を作ったわけじゃないのね。ちなみにモエ・エ・シャンドン社は現在はLVMHという巨大な企業の傘下に入っている。この会社は「ルイ・ヴィトン」の会社だよ。「ルイ・ヴィトン・モエ・ヘネシー」の頭文字をとって「LVMH」ね。ということはモエヘネシーがヘネシーというコニャックも作っているということだ。ディオールやジバンシー、フェンディ、ロエベみたいな有名ファッションブランドも抱えている巨大コングロマリット。ヤバいよね。
今日も読んでくれてありがとうございます。またフランスから出られなかった。ここでも、やっぱり「国策としての経済政策」が絡んでいるのが興味深い。ドン・ペリニヨンが生まれる前にはイギリス辺りでもスパークリングワインを作ってはいたんだけどね。そう思うとフランスって経済政策が得意?でもこの頃のフランスは財政破綻ギリギリなんだよね。破綻ギリギリだからフランス革命や世界大戦がこの国を舞台に起こるんだけどさ。お酒とお金と政治。絡み合うなあ。次こそ新世界の話をするぞ。