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今日のエッセイ ハズレを引きたくない心理 2022年2月10日

2022年2月10日

ハズレを引きたくない心理ってあるよね。何かの商品を買うのでも、どこかへ旅をするのでも、食事のための店を選ぶのでも。まあ、色んな所で働く心のありようだ。

ハズレを引かないために、選ぶ対象を調べることをするのだけれど、今も過去も口コミというのは大きな材料になっている。これがちょっと気になっていて、そこに寄りすぎるのもどうかと思うんだよ。

口コミっていうのは、当然だけどその人の主観的感想なわけだ。その人がどんな人なのか知っていれば良いけれど、全くわからない状態での意見を聞いても結局わからないと思うんだ。ふだんあまり本を読まない人が書評を書いたところで、それは「普段あまり本を読まない人にとって参考になる」でしかないんじゃないかな。たくさんの本を読んでいる人には、たぶん響かない。というと、おそらく逆もあり得る。

そもそも、ハズレを引かないための行動が、実はモノゴトを見る力を低下させてしまう可能性があるんじゃないかな。口コミって結局他の誰かの審美眼に頼っているわけでしょ。で、解像度高く判断できる人が信頼度が高いのだと思うのだけど。その人だって、たくさんの経験と思考を繰り返してモノをみる解像度が高くなっているんだ。

つまり、たくさんのハズレも経験している。

すべてのジャンルでありとあらゆる経験をすることが良いかと言うと、そればっかりじゃないけどね。全部やってたら、時間がいくらあっても足りないから。人が一生の間に食べられる食事の量や回数だって限界があるし、洋服だってたくさん購入し続けたらクローゼットがいっぱいになってしまう。お金だってかかるしね。

だから、必要な場面では誰か他の人の意見を参考にすることも有効なわけだ。

その場合は、ハズレだったとしてもその人のせいにしないことが大切だよね。その人にとっての「良い」であって、わたしにとっての「良い」では無いんだから、絶対に当てはまるという保証は無い。というのを前提に置いておくことだ。

さて、自分にとってそれなりに興味のあることは、どんどんハズレを引いたほうが良いと思っている。始めのうちは特にね。経験がモノを言うわけだ。論理的に考えて、これは自分には合いそうもないな、ということもあるのだけれど、結局は体験してみて自分の感情がどうなるかってこと。

よく子供向けのコンクールでは、出品された作品に親の手が入っていることがあるそうだ。実際に手を動かしたのは出品者本人であっても、過剰なアドバイスが多く見られるのだとか。

これは料理の世界でも同じことがあって、若手部門の作品の中には親方や先輩方の考えたものが含まれていることがある。献立の構成なんか、本人以外の意思が働いている。

その過程で出品者本人の勉強にもなっているだろうけれど、一方で「自分で思考する」ことの妨げにもなっている。

出品してみて、他の人の作品を見た時にショックを受けるだろう。色んな意味でね。それが、どの程度自分自身に返ってきて、その後の行動に影響を与えるのかということを考えると、自分自身の責任で行動したことのほうが良い方向に大きく向けやすのじゃないかと思うんだ。

ハズレを引くかもしれない、というのは失敗を許容するということだよね。「許される」ということだ。周囲の環境も、そして自分で自分を許すことが出来るということが、創造性を伸ばすことに繋がるんだろうな。

今日も読んでくれてありがとうございます。一見常識はずれのこと、だけど本人が本気で考えたことを想像して創造する。それが許されること。成長する環境因子の一つかも。アドバイスは求められたときだけで良いのだ。

  • この記事を書いた人

武藤太郎

掛茶料理むとう2代目 ・代表取締役・会席料理人 資格:日本料理、専門調理師・調理技能士・ ふぐ処理者・調理師 食文化キュレーター・武藤家長男

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