エッセイみたいなもの

今日のエッセイ バリバリ・キチキチ・グイグイ、ふわっと。 2022年2月18日

2022年2月18日

東京で新規事業を立ち上げる友人がいて、ちょっとだけでも手伝ってくれってことだったので、とりあえず見に行ってきた。以前のサラリーマン時代ほどではないけれど、自分の事業に時間を割いているのでなかなか思うようには参画できないかもしれない。中学生の頃からの仲間だし、おもしろい事業なので何らかのカタチでは関わっていくと思うよ。

さてさて。

価値観というのは、とてもおもしろいなと思う。東京に限った話ではないけれど、いわゆる「バリバリ」と音を立てて働く人がいる。タスク管理をキチキチにやって、バグが出ていないか逐次チェックしながら指導して、グイグイと事業をすすめるのだ。

原価や利益率や資産配分など、しっかりとマトリクスが組まれていて、非常に効率的に仕事を進めている。

擬態語が多くて申し訳ないのだけれど、なんとなくのイメージだからね。

こういうタイプの働き方もあるよね。

実際、ぼくも前職ではこのタイプだったと思う。なんというか、余白がない。効率よく働こうと思ったら余白は「無駄」に見えるからさ。

掛川に帰ってきてからも、しばらくはこんな感じで動いていた。

いま?だいぶ違うんだよね。

もちろん、スキルとしては維持しているつもりだし、必要なところではバリバリとキキキチでグイグイなのだ。けれども、だいぶ余白が多くなったと思うんだ。特にマネジメントがそうかも知れない。

バリバリしてた頃は、田舎をちょっと下に見ていたところがあったんだろうね。バリバリというモノサシで測定するとそう見えるんだ。ゲームルールがそれ一択だと思っていたからさ。

けど、町の中に入っていって、色んな人達がまちづくりに参画していて実績を出しているのが見えてきたんだ。バリバリの加減はちょっと落としているのだけれど、周辺の人達を巻き込んでうねりを作って動かしていく感じに思えた。一緒にお酒を飲んだりしながら話を聞いていて、素直にスゲーなと。

そうか。違うゲーム版の上で生きているんだ。都会のようにふるいに掛けながら、バリバリやるんじゃないのだ。グラデーション豊かな人たちを巻き込みながら、うねるように進んでいくのか。違う価値観の人も内包する懐の深さを感じたんだよ。それが、余白の部分なんだろうな。

実は、都会だろうと田舎だろうと対人商売はこの余白が肝要なんだ。バリバリタイプで優秀な人は、オフィスを出て、例えば飲食店の店に立ったとしても上手にこなせるだろう。人望もあるからそれなりに固定客もつくだろう。けれど、それじゃあ長続きしないんだと思うのさ。

だって、食事だとかティータイムだとかは「効率の真逆」に位置するからね。余白を楽しみたいのさ。

人間は、思っているよりも敏感なんだ。言語化出来ていなくても、その人に余白があるのかどうかは、なんとなく察知してしまう。ふわっと柔らかいほうが、一緒の空間にいて落ち着くっていうのがそうだろう。

ビジネススキルじゃないのだ。これは。

心と人格の問題。そういうのをひっくるめてセンスという言葉でくくられるけれど。言語化するとこういうことになるのかな。

相変わらず、ぼくの指が考えながらタイプしている状態だから、もう少し掘り下げていったら深淵が見えるのかもしれないけれどね。

今日も読んでくれてありがとうございます。違ったタイプがいるのだけれど「みんな違ってみんな良い」に安直に逃げないほうが良い。真実ではあるけれど、両方を越境して考えていくこと。ちゃんとコミュニケーションをとること。そのうえで、どこかにふわっと着地するくらいかな。

  • この記事を書いた人

武藤太郎

掛茶料理むとう2代目 ・代表取締役・会席料理人 資格:日本料理、専門調理師・調理技能士・ ふぐ処理者・調理師 食文化キュレーター・武藤家長男

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