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今日のエッセイ ビジネスルールってなんだ? 2021年9月3日

2021年9月3日

ルールとはなんだろう。規律?規則?
友達のSNSを見てたら、こんな問いが浮かんできてしまって勝手に考察をしてみることにします。

破るためにある。そういう文脈で語られることがあるのだけど、それはどうも違うような気もする。破るためにあるとしたら、それはルールとして破綻しているわけだから。破綻していたり、社会認知として実用されていないものはもはやルールとは呼ばない。

ルールがあって良かったなと思うこともいっぱいあるよね。

例えばスポーツ。サッカーだったら、手を使っちゃいけないとか、枠線の内側でプレーするとか、人数、枠の中にボールを入れたら得点、得点数を競う。こういったルールが無かったらサッカーが成立しないもんね。むしろ、この制約があることで面白さを獲得しているとも言える。「制約がある中で自由を獲得することに喜びを感じているから楽しい」と言い換えても良い。
最近のスポーツは、面白さを加速させるためにルール改正されることがあるくらいだ。

一方で、安全を担保するルールもある。人を直接攻撃しない。危ないよ。怪我するし。それから、相手が気分を害することも禁則事項になっているかな。つばを吐くとか、暴言を言う。

スポーツの場合は、大別すると、3つのルールがあるということなのかな。そのものを成立させるもの・安全を担保するもの・精神衛生を担保するもの。どうだろう。なんとなく他のスポーツも似たような分類ができるような気がしているんだけど。

これを直接的に社会に当てはめて考えるのは短絡的すぎると思う。思っているけれど、やってみよう。

社会を社会足らしめているルール。現代のニッポンだったら、民主主義とか社会主義という大枠のものもそうだし、公用語が日本語ということもそう。人権や労働、義務なんかも当てはまるかな。教育は?うーん、微妙。判断保留。ざっくりと憲法に定められているルールがこれに該当するのかな。

次、安全担保。刑法で定められていることはこれだね。あと、交通ルールも。これは比較的理解しやすいかな。法学は勉強していないからわからないけど、法律で定められているルールはこれだ。

最後は精神、心のケア。これも法律にはあるよね。恐喝なんか典型だ。だけど、この部分は法律で規定されていないものが多いような気がする。安全担保にもあるけれど、社会的空気感でルール化されている部分が多い。道徳や倫理というものを、日本の場合は恥を制裁として機能させている。

これかなあ。人間関係で齟齬が発生するのは。お互いに違う社会で生きていたら、どれが共通認識のルールなのかわからないもんね。業界ルールみたいなものもあるし。中には異業種から見たら不自然なものだってあるし、ちゃんとビジネス上で機能しているルールもある。
これを、一般社会での交流とごっちゃにしてしまうとわけが分からなくなることがあるよね。手を使っちゃいけないというルールを野球に適用したら意味がわからない、というような例えはちょっと極端だけど。でも、そういう概念で捉えると、理解がしやすいかもね。

今日も読んでくれてありがとうございます。ビジネスルールと、その中の一部でしか通用しないルール。それから一般社会でのルールというかマナー。これをごっちゃにして考えないことで多少は整理ができそうだなあ。「飛ばし」はしないというのはビジネスルールと聞いたけれど、そんなルールはぼくがいた会社にはなかったな。あるのは、契約とマナー。仲介者を飛ばさないためのルールは契約にしていたから。それでなかったら、仲介者にお礼を言うくらいのマナー。数社しか知らないのでわからんけど。

  • この記事を書いた人

武藤太郎

掛茶料理むとう2代目 ・代表取締役・会席料理人 資格:日本料理、専門調理師・調理技能士・ ふぐ処理者・調理師 食文化キュレーター・武藤家長男

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