エッセイみたいなもの

今日のエッセイ メイクセンスは気の持ちよう 2022年1月28日

2022年1月28日

モノゴトの見方を変えたら、実は全然違ったものに見えてくる。メイクセンスとか言われているらしいのだけれど、解釈を変えたら捉え方が変わるという経験をしたことはないかな。

ぼくは、これが楽しいし好きなんだ。

極端なことを言ってしまえば「気の持ちよう」だ。

こんなふうに言ってしまうと、なんてことは無いように感じてしまうのだけれど。これがとても大切なことのように思えてね。

ほら、失敗した時に「良い経験になったよね」なんて慰められたりすることがあるでしょ。その時はそんなわけあるか、と思うんだけどさ。意外と時がたってみるとその通りだったりするじゃない。

実は、販売営業の仕事の中には「メイクセンス」が含まれている。

まあ、それと感じていないことも多いし、自覚していないでそれをやっていることもあるんだけどさ。

パソコンを売るとしても、それがその人にとってどんな意味を持つのか。目に見えていることと、その先々で現れてくるであろうメリットや楽しみと、面倒くさい部分をいろいろと想像して話をする。

その時に、その人が暮らしの中で何に価値を置いているのか、を考えるんだよ。ヒアリングもするしね。

そして、その価値観の中でパソコンがどんな存在で、どんな新しい価値を提供してくれるのかを一緒に考える作業が営業の仕事だ。

今ではオンライン会議が定着しているけれど、その前はパソコンに搭載されているカメラの性能なんかはあまり気にされなかったでしょ。だけど、遠くに住んでいる孫とテレビ電話したいという人だっていたわけ。ぼくが接客したときは、孫とメールをしたいというニーズのお客様だった。時々電話をするのだけど、メールも楽しみたいということになったそうだ。

よくよく話を聞いていくと、そのお客様の一番のニーズは「親しい人とのコミュニケーション」だということがわかった。

だから、パソコンをコミュニケーションツールとして捉えてみた。最新の電話だと思ってさ。

いろいろ出来て便利な箱だけど、いろいろあって難しそう。

だったら、始めからコミュニケーションツールとして捉えてみる。そうすると、何が必要で何が不要なのかがわかるよね。

その時は、操作性が良くて手頃な価格で、だけどカメラはそれなりの画質を担保しているものを選んだんじゃなかったかな。

パソコンの前に座るのが楽しくなった。あとになってそう言っていただいたから、今でも覚えているんだよね。もう10年以上も前の話。

今目の前にあるもの。それが、1ミリも変わらなくても、捉え方を変えると世界が全く違ったものに見えることがある。そして、それによってゴールが変わってしまうこともある。

ぼくは、そういう経験を色んな所から与えられて、その度に目からウロコが落ちまくって、それまでの自分の世界観が壊れて、その瞬間が楽しいんだよね。そういう見方があったのかあってさ。

今日も読んでくれてありがとうございます。2600年前のゴータマシッダールタさん。通称ブッダ。この方が言っていることを乱暴にまとめると、気の持ちようの話なんじゃないかと思うのは雑すぎるか。

  • この記事を書いた人

武藤太郎

掛茶料理むとう2代目 ・代表取締役・会席料理人 資格:日本料理、専門調理師・調理技能士・ ふぐ処理者・調理師 食文化キュレーター・武藤家長男

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