エッセイみたいなもの

今日のエッセイ 丁寧なくらし 2022年1月6日

2022年1月6日

少しだけ丁寧な暮らしを心がけてみる。そういうことが良いよね。という話を耳にしたり文章で見かけたりもする。どう感じているだろうか。

例えばペットボトルのお茶や水を飲む生活から、急須でお茶を入れるようにしてみる。たしかに手間がかかるし、のどが渇いた時にさっと飲めるものでもないかもしれない。
お茶を入れるためにお湯を沸かす。湯呑を用意する。
そういったところから始まって、飲み終わったら茶葉を捨てて急須を洗う。

一連の作業が面倒だと言えば面倒だ。

それに、急須で入れたお茶を飲まなくったって、人生を過ごしていくことはできる。些細なことだと言える。

その代わりに手に入れるものがある。という表現をすると、費用対効果のように感じられて少々心苦しくもある。
茶葉を違うものに変えた時に、お茶の味わいに違いがあることに気がついた。とか。お湯の温度にこだわるようになった。とか。
もしかしたら、急須を手に入れたことで変わることもあるかもしれない。烏龍茶や紅茶、コーヒーを急須で入れてみたりするかもしれないよね。

モノ以外のところでも、外食をしたときにお茶を飲むとか、ペットボトルのお茶を勝って飲むとかしたときに、今までに気が付かなかったお茶の味わいに気がつくようになったということもあるよね。

お茶を例に出したけれど、世の中には「小さなことだけれど、世界が変わって見えるようになるきっかけ」ということはたくさんあるように思えるんだ。
ほんのちょっと、行動を変えたり意識を変えると、今まで見えていなかったものが突然クリアに目につくようになるという経験はあるよね。

本皮の良い靴を買ったときには、靴の磨き方をお店で教えてもらった。そしたら、家でも靴磨きをするようになって、街をゆく人の靴までもが気になるようになってしまったり。そういう人もいた。
モノを丁寧に扱うことを一定の習慣にしてしまうと、彼は他の所持品も丁寧に扱うようになったという。
前職の後輩の話なのだけれど、一度掛川まで会いに来てくれたことがあって、1年会わない間にすっかり大人びたオシャレな男になっていたよ。

彼の場合は、きっかけが革靴だったということだ。そこから派生していろんなことに影響を与えていったんだね。モノを丁寧に扱うことが、美意識に繋がっていったり、対人関係までもが丁寧になっていったりしたようだよ。そんなことをその日に話した記憶がある。

モノを通して、意識が少し変わった。
世の中を見る解像度が上がった。
入ってくる情報の質が変わった。

そういうことは、実は沢山の人によくあることなんだろうけど、意識的にきっかけを注目しないと気が付かないうちに変わっていったということになる。たまには、自分にもそんなきっかけがないかと探してみると面白いかも。

今日も読んでくれてありがとうございます。そうそう。元日は「ふぐ初体験」のご家族がいらっしゃった。もしかしたら、これも食に関しての解像度が上がるきっかけになるかもしれないよね。

  • この記事を書いた人

武藤太郎

掛茶料理むとう2代目 ・代表取締役・会席料理人 資格:日本料理、専門調理師・調理技能士・ ふぐ処理者・調理師 食文化キュレーター・武藤家長男

-エッセイみたいなもの
-,