エッセイみたいなもの

今日のエッセイ 不要不急ってどういうモノゴトだろう? 2021年10月25日

2021年10月25日

「不要不急の外出は控えてください」と言われて、1年以上が経ちました。もう、みんな外出を我慢できなくなってきている雰囲気があるよね。やっぱりみんな外出したいんだ。大きな捉え方をすれば、人類は理由もなくお出かけするものなのだろうと思う。

ところで、不要不急の外出とはなんだろう。「不要不急」のモノゴトってなんだろう。そうじゃない状況から考えてみる。
「有要有急」は、必要で急ぎの案件。「有要不急」は必要だけれど急いでいないもの。「不要有急」なんてモノゴトがあるのかな。不要だったら急ぐこともないような気がする。「不要不急」は、必要でもないし急ぎでもない状態だよね。
4つに分けてみると、緊急事態宣言下では、有要有急以外のモノゴトは我慢という解釈になる。最近では少し緩和されていて有要不急くらいは良いんじゃないかってことになるのかな。

そうなると、「必要なモノゴトとは何か」ってことが気になってきた。生活のためには必ず必要なこと、でいいのだろうか。これは難しい定義になりそうである。だって、必要と不要の間はグラデーションになっているように見えるんだもの。
仮に「生命を維持するため」を必要の条件とすると、これは相当厳しい。食料調達くらいのものだ。ここに社会生活が付加されてくると、仕事も含まれるし教育も含まれるようになってくる。パンデミックでは、このあたりに線を引いているような気がするね。なんとなくだけど。
文化的な活動はどうなるだろう。たぶん、不要の側に含まれてきた。音楽や映画、娯楽としての旅や食。こういったものは不要不急の外出が制限された途端に切り捨てられる対象になる。実際そうだったね。

けれども、本当に不要なんだろうか。もちろん、感染を拡大させないためには制限することになるのだけれど、 通常時においてはどういう扱いになるのかということだ。これだけ、たくさんの人達が「我慢」という言葉を使っているのだ。快楽や娯楽は、我慢しなくちゃ止められないと感じていることになる。つまり、論理を超えて「人生には必要だ」と感じている。そういうことなのだ。無理にでも理由をつけるとどうなるのかな。

文化的な活動などは、楽しい。楽しい、嬉しい、充実している、癒やされる。そういう感覚を生み出す素になっている。いろんな感情表現言語があるけれど、ここは楽しいでひとまとめにしておこうか。めんどくさいから。楽しいという感情がもたらすものは、何だ?
ストレスを解消することにはなるよね。例え一時的にでも開放される。その隙きにストレスの根源を解消するアイデアが浮かぶことも有るだろうし。ほら。開放されるとアイデアが浮かぶってことはあるでしょう。うん、有る。お風呂に入っているときに、何かが降ってくる。そういう経験あるよね。いやしずくじゃないよ。アイデアのはなし。

アイデアとかイノベーションとか、そういったものが生まれやすい環境は「楽しい」の延長上に存在しているのだ。ということになるね。脳科学の知識は無いのだけれど、もしかしたら人間の脳がそのように設計されているのかもしれないと思ってしまうよ。
つまり、「一見不要と思われているモノゴトの中にこそ、創造性の源になるものが含まれている」ということだ。

食品と栄養の関係みたいだ。栄養だったら、無くても生きていけるけれど、それがあることで体調管理に寄与していたり、精神に良い作用をもたらしたりするミネラルってある。食品だったら、お茶みたいな嗜好品がそれにあたるかな。食事だったら、会食がそれにあたるだろうね。
ぼくらは不要不急の業界とされている。だけど、だからこそ創造性を発揮するために必要なモノゴトの一つだとも言えるよね。

今日も読んでくれてありがとうございます。ぼくら飲食業界にも、不要不急のカテゴリーとしての誇りがあるわけです。

  • この記事を書いた人

武藤太郎

掛茶料理むとう2代目 ・代表取締役・会席料理人 資格:日本料理、専門調理師・調理技能士・ ふぐ処理者・調理師 食文化キュレーター・武藤家長男

-エッセイみたいなもの
-, ,