エッセイみたいなもの

今日のエッセイ 事なかれ主義からの脱却? 2021年9月18日

2021年9月18日

リスクとリターン見極めることが大切です。ということは、経営でも投資でも、スポーツの世界であっても当然のように語られています。まあ、何を読んでも書いてあるからね。そうなんでしょう。
ところが、私たち日本人は比較的「リスク」に偏重しやすい傾向にあるのだとか。どうなんだろうね。

本を読んでいると、ときどき「リスク偏重主義」や「ことなかれ主義」という言葉に出会う。たしかにね。日本人のそういう部分は結構古い本を読んでも登場するから、国民性と思われる部分もあるのかな。ただ、こういうのは世界中や過去を見渡して相対化してみないことには、ぼくらがホントに「リスク偏重主義」が強いのかどうかはわからないんだよなあ。
いや、今回は掘り下げないよ。こんなテーマで勉強し始めたら、膨大な時間がかかっちゃうから。

仮にリスクを重視する傾向が強いということにして考えてみる。言葉を変えれば、リスクをしっかり見ようとしているということだから決して悪いことばかりじゃないはずだ。○○を実施するとどんなリスクが考えられるか。という問いに対して、いろんなケースを想定できるのだから想像力が豊かだし、経験や知識もあるんだろう。そうじゃきゃリスクを想定するということは難しいだろうから。

悪い面はどんなことがあるだろう。一番ダメなのは、「やめる」を先に結論とした「リスク検証」だ。本来は事業なりを進めるために、どんなリスクが有るかを洗い出しているはず。そのうえで、やるのかやめるのか、やるとしたらどんな方法があるのか、という議論に繋がるんだからさ。そこに辿り着く前に結論出しちゃっているんだったら、リスク検証なんて意味がないもの。

あとは、検証の方法が偏っていることかな?個人の感情や経験は判断基準の一つにはなるけれど、それだけの偏っているのは危険だよね。どんなに長く生きていてもせいぜい1世紀程度だし、出会って意見を交わしてきた人数だって多くても数百人程度。知識量も経験もいろんな人がいるからね。いろんな側面から見えるリスクをとりあえず並べてみて、取捨選択をして、そのなかからクリティカルなものを抽出して対処・・・。というのは、あらためて書き出すほどのことじゃないか。
これはリターンにおいても同じだよね。自分の意思と自分以外の意思、自分の知識と自分以外の知識。全部合わせて、リーダーが判断。

ああそうか、SNSなどで声が大きいのはリスクをあげる声。この数に気圧されてしまうと、正常な判断を失ってしまうのかもしれない。数と質とをちゃんと見比べれば判断できるものが、出来なくなっちゃうということもあるかもね。ぼくなんか、少数意見だとしてもSNSでディスられたら凹むからなあ。そういうパンチは同じ数の賛成意見よりも効くかも。

リターンというかチャンスというか、そっちもちゃんと見ないとね。あまりにもリスクが大きすぎるようであればプランの修正が必要だし、リスクの対処がわかっているのだったらリターンを重視すればいい。ここのバランス感覚ってどうやったら身につくんだろうね。

今日も読んでくれてありがとうございます。物語の中の話だけど、とある外科医が言ったセリフが心に残っている。助手のAさんは仕事が遅い、看護師のBさんは同じところでミスを繰り返す。そんなことはわかっている。私のオペチームから彼らを外さないのは、彼らのミスは明らかでカバーする対処法も明確だからだ。それよりもAさんの慎重さやBさんの柔軟さを私は選ぶ。リスクとリターンってこういうバランスの取り方もあるんだね。

  • この記事を書いた人

武藤太郎

掛茶料理むとう2代目 ・代表取締役・会席料理人 資格:日本料理、専門調理師・調理技能士・ ふぐ処理者・調理師 食文化キュレーター・武藤家長男

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