エッセイみたいなもの

今日のエッセイ 変化のインパクトと認知の格差 2022年5月24日

2022年5月24日

モノゴトのインパクトって、感覚で決まるんだよね。急に何を言い出したって?そうなんだけどさ。ちょっと気になることがあって、本を読んでいるうちにそう思ったって話だ。

たべものRadioの原稿を書いている時には、思考が違う世界を漂っている。妄想の世界だね。数百年前、数千年前の景色は見ることが出来ないけれど、その世界にいるような気になっているんだ。そうして、実際の時間の流れよりもずっと早く、映画のダイジェストを見るような感覚でストーリーを追っていく。コマ送りと言うほどではないけれど、数時間の後には数百年後の事象を勉強していたりするわけだ。

例えば、スシ。スシが大きく変化するのは江戸時代のことだ。元禄文化のあたりから徐々に変わり始めていって、化政文化の頃にはありえないほど違うものになってしまっている。それこそ、たべものRadioの配信の中では、江戸時代のスシの変化だけをピックアップして一気に話をした回があるのね。時代背景とか見ないで、その部分だけを話したから、200年くらいの変化を一覧にして眺めるんだ。そうすると、びっくりする。インパクトがあるんだよね。わあ~こんなに変わったんだ。すっごい。ってね。

だけど、実際には200年くらいかかっているのよ。遠因まで入れたら、もっと長い時間がかかっている。回転寿司だけじゃなくて、最近流行のスタイルのスシまで含めたらもっと長い。だから、実際に現場に直面している人は、その変化に気が付かない。

なんでだろう。

比較対象が近すぎるってことが、まずひとつの要因かな。人の一生なんて、そこまで長くはないからね。いくら100年時代といっても、変化を認知できるのは数十年分だ。日々の生活だったら、十年前と比較するくらいがせいぜいのものだろう。だから、気がつかない。

もう一つは、毎日毎日変化し続けているからだよね。毎日起こっていることは、なんといっても日常だ。変化し続けるという日常。だから、あんまり気が付かない。

気候変動が起きていて、これは毎日ちょっとずつ変化続けていることだ。そして、毎日たくさんのひとが干ばつなどで命を落としている。数百万人という単位だ。交通事故で亡くなる方は、世界中で3日に1万人だという。こうやって言われてみれば、タイヘンなことだということを知ることが出来る。これに対して、飛行機事故だとか、地震や台風などの災害で沢山の人が犠牲になると社会的に大きな衝撃を受けるよね。だけど、前出の例よりも、実は人的被害が少ない。

適切な例ではないと思う。被害を数字の大きさで計るものではないということも充分にわかっている。そのうえで、人間の認知力っていうのはこういうもんだという事実を突きつけられているような気もするんだよね。

地球温暖化問題っていうのは、最近は特に意識が高くなっていて、活動も活発になっているけれど、最近になって言われ始めたことじゃないよね。数十年かかって、やっと今のムーブメントにつながったわけでしょ。

以前から活動してきてはいるけれど、現在のようにマスメディアで大々的に取り上げられる回数も少なかったし、ぼくらの意識ももうすこし低かったと思う。

これに対して、津波対策や免震構造への建て替えは早かった。種類が違うから単純な比較は出来ないけれどね。阪神淡路から東日本までの流れの中で、各地が対策を講じるようになっている。

これらの事象をみると、インパクトが有る事柄に対しては認知がしやすくて、反応としての行動も起こしやすいというように見える。一方で、緩慢な変化は認知が難しい。丁寧な観察と学習によって、やっと見えてくる。だから、行動に繋がりにくいんじゃないかな。そんなふうなことを感じるんだよ。

例え話が、すごくセンシティブなものになってしまって、変な誤解を生むかもしれないなあ。すみません。

今日も読んでくれてありがとうございます。緩慢な変化を捉えなくても、別に幸せな一生を送ることは可能だと思うんだけどね。ただ、子どもたちに残す未来のことを考えるとさ。帰納法的に現実を観察するって、タイヘンだけどやっておきたいよね。

  • この記事を書いた人

武藤太郎

掛茶料理むとう2代目 ・代表取締役・会席料理人 資格:日本料理、専門調理師・調理技能士・ ふぐ処理者・調理師 食文化キュレーター・武藤家長男

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