エッセイみたいなもの

今日のエッセイ 外見は人生に影響を与えるか。 2022年5月4日

見た目は人生に影響があるのだろうか。という質問をもらった。なんだろう。なんでこんな質問というか、相談のようなものが僕のもとには飛び込んでくるのだろうか。まあ、楽しいから良いんだけどね。

結論から言うと、確実に影響があると思う。

しばらく前に「人は見た目が9割」という本が流行した。今でもそうなのかな。書店に行くと「○○が9割」という表紙を見かける。あれもこれも9割ということになったら、10割を越えてしまうのだが、そのあたりのことは気にしないのが出版社というものなのだろうか。

見た目による影響がある。というのは、この書籍に書かれていることを言いたいわけじゃないんだけどね。

現実問題ある。という話だ。顔の形が良いか悪いかということも、残念ながら影響する。だけれども、それだけじゃないのだよ。例えば体がでかいと言うだけでも、周囲は勝手に遠慮がちになりやすい。逆に小さいとナメられやすい。特に、子供の頃はけっこうわかりやすい影響が出るよね。子供の頃からそういう経験を積み重ねてくるから、おとなになった後も性格への影響があるのだと思うのだ。

顔の形が悪い人は、良い人のことを羨ましいと感じる。それはそうだ。なんだか、得しているよなあって感じる。けれども、容姿が良い人はそれだけでも、苦労の種だったりするのだ。どこへ行っても、常に可愛いとかカッコイイとか言われる。初対面の人にも言われるし、下手をすると見知らぬ他人に言われることもある。

聞いた話なのだけれど、知人の女性は、通勤顔を合わせるだけの人に「おはよう。今日もかわいいね」と毎日のように言われ続けたというのだ。これは怖いよね。彼女に言わせると、日常茶飯事なのだとか。あまりに沢山の人に言われるものだから、いつも肉食獣に狙われている感覚だという。ホントに襲われることはそうそうないことはわかっている。けれども、やはり気持ちの良い視線ではない。肉食獣の視線を感じて生きる草食動物のような気持ちなのだろう。

たまたま、女性の話を例に挙げてしまったけれど、性別に関係なく似たようなことはある。

言いたいことは、一見良さそうに見えても、またその逆だとしても。その良いという価値観はあくまでも、周囲のものだ。本人にとってはどうでも良い。そして、見た目の良し悪しが及ぼす影響は、良い方向にもその反対の方向にも働くことがあるということだ。そういう意味で確実に人生に影響している。

肝心なことは、自分ではどうしようもない外見については、それを受け入れて、その姿で生きていく覚悟を持つということだろう。

反対に、自分の努力でどうにかなる外見は、どうにかしたいと思ったらその通りにすれば良い。金髪にしたかったらすればいいし、痩せたかったら痩せれば良い。カジュアルな服なのか、キレイめにするのかは、もう自由にしたら良い。それは個性だし、意外と周囲の人もそれを個性だと受け取っている。ただ、その個性を受け入れてくれるかは状況次第というだけのことだ。

受け入れられなかった時、自分がどうするかを考えたら良い。面接試験で金髪のままだったら、多くの会社ではツッコまれる。それでも金髪を貫くのか、それとも一時的にでも黒く染めるのか、ここでの判断が個性なのだ。どちらを選択しても良いし、どちらも間違っていない。人間同士のことなのだから、合う合わないは絶対にあるから。

料理を提供する時には、美味しそうな盛付をするし、見た目にも清潔にする。当たり前のことだ。どうやったら、よりマズそうに見えるかを考えて盛り付けをする人はいない。それは、それを求める人がいないということだ。気にしないという人はいたとしても、わざわざマズそうで不潔なものを選びたいという人はいないよね。極稀にいるかもしれないけれど、まぁそれは例外として。

今日も読んでくれてありがとうございます。日常で、この盛付を疎かにしてしまっているケースは多いのじゃないだろうか。もちろんそうじゃない人もたくさんいるけれど、全体のボリュームは前者のほうが多いんだよね。駄目だとは言わないけれど、もったいないとは思うよ。

  • この記事を書いた人

武藤太郎

掛茶料理むとう2代目 ・代表取締役・会席料理人 資格:日本料理、専門調理師・調理技能士・ ふぐ処理者・調理師 食文化キュレーター・武藤家長男

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