エッセイみたいなもの

今日のエッセイ 寿命と時間感覚のつづき。 2022年1月18日

2022年1月18日

平均寿命が違ってくると、時間認識も違って感じるのじゃないだろうか。
と、昨日のエッセイに書いた。

そういえば、昨年の9月8日にも「こないださぁ。」という感覚について書いたんだよなあ。ということを完全に忘れてたんだけど、振り返ってみたらあった。
書いた側から忘れてしまう生き物なのだ。

長い時間を生きていると、「ちょっと昔」の「ちょっと」の感覚が変わっちゃうんだよね。これってなんなんだろう。
「ちょっと前にこんな事があってね」
小学生が言っているときは、たいてい最近の話だし、古い話でも1年くらい前の話だ。
ぼくら中年になると、1年前はほとんど現在だ。今とあんまり変わらない気がしてしまう。だから、コロナ前かコロナ後と区切らないといけない。
いーつのーことーだかー、思い出してご~らん~。

確かに1~2年前も「ちょっと前」だ。
同時に10年前も「ちょっと前」である。
「10年前の話だ」と認識した上であれば、ちゃんと分かる。けれども、思い出話をするときは、内容から入っていくことが多いから時間間隔がおかしいのだ。
話をしたり聞いたりしているうちに、「そんなのスマホでググればいいじゃん」ということになって、ああスマホを使っていなかった時代だということに気がつく。

歳を取ると視力が落ちるというが、時間軸の深視力が落ちているのか?
遠近感が狂っているようにも思えなくもない。
遠くの山と、その向こう側にある山の距離が近いように感じるようなもんかもしれない。

もしくは、割合の問題なのか。
50年のうちの10年は20%。20年のうちの10年は50%。そういうことが影響していると考えることが出来るのだろうか。どうなんだろう。

現在のぼくの年齢だと、江戸時代の武家だったらそろそろ隠居願いを出してもおかしくない。初老という言葉は40代を表した言葉だ。人生の80%を生きてきたのだから、そろそろ家督を譲って隠居。になるのだろう。
ところが、現代に生きる僕らは「青年部」に属している。まだ人生の半分にも達していないということだ。

なんなのだ。このギャップは。
未来の時間など、人間は想定することが出来ないのじゃないかと思っていたのだけれど。どうやら、肌感覚では察知しているらしいよ。「初老」が「青年」と呼ばれていて、世間的には「青年」のほうがしっくり来るのだからね。

今日も読んでくれてありがとうございます。それにしても9月のエッセイはとんでもなく読みにくいよなあ。この日の自分は何を考えていたのだろう。「ちょっと前」のことなのに、あんまり思い出せないや。
時間軸が狂っているのか。

  • この記事を書いた人

武藤太郎

掛茶料理むとう2代目 ・代表取締役・会席料理人 資格:日本料理、専門調理師・調理技能士・ ふぐ処理者・調理師 食文化キュレーター・武藤家長男

-エッセイみたいなもの
-, ,