エッセイみたいなもの

今日のエッセイ 思考の調理道具 2021年4月5日

2021年4月5日

情報を仕入れてアイデアを生み出すだとか、何かを考えるということのステップについて考えてみようと思います。というのもね。相談されたからなんだけどさ。頭の中どうなってるんですか?ってね。

ぼくは、考えるということについては3つのステップがあると思ってるんだ。「思考プロセスや技術」「情報」「思考の準備」なんだけど、苦手な人はどれかが足りていないのかなと。苦手な人じゃなくても、考えに詰まっている時はどれかが足りないだけなんじゃないかと思うんだよ。
料理の場合は、調理道具があって、食材や調味料があって、それからレシピや技術を使って調理するわけじゃない?食材が全部揃っていても鍋や包丁がないとか、技術が足りないとかだと思った通りの料理が作れないということになるよね。もちろん応用することも出来るけれど、それも技術のひとつでしょう。

考え事をするときの「調理道具」ってなんだろうかってことね。情報を入れた時に、適切に下ごしらえが出来るようにしておくってことなんじゃないかな。せっかく情報を仕入れても、処理するすべを持っていないとどうにもならないし、必要な情報だって気づくことも出来ない。だから普段から頭の中に「調理道具」を揃えておく必要がある。ぼくが教わってきたことは「抽象化」と「具象化」。公式と代入の概念が調理道具の基本になっているような気がする。おとなになってからはいろんなフレームワークを取り入れることにはなったけれど、基本的にはこれなんだよ。

例えばテレビでニュースを見てもバライティ番組を見ても、扱っている情報は片っ端から抽象化されていく。意識していなくても、なんだか勝手にそう考えてしまうんだよね。これは能力なんかじゃなくて、ただのクセだろうから変なクセを持っているもんだ。それで、他の似たようなものを見つけては代入して遊んでいる感覚があるんだ。実際に、この文章でも「考える」ということと「料理」とを抽象化して、代入して考えているわけだし。何かに例えて説明するっていうのがあるけど、じぶんの中で考え事をしているときも全く同じことをしているんだよね。
で、当然だけど2つの事柄が全く同じわけないから、共通点と相違点が見つかるわけ。相違点を見つけたら「例えが違ったかな」とか「この相違点をどう解釈したら良いかな」とか、そんなことを考えるのね。大抵の場合、例えが違ったかなということになるんだけど、たまに新しい発見に繋がることもあるんだよ。
これ、普段の生活では全くと言っていいほど役に立たない。笑っちゃうくらい役に立たない。お風呂に入る時に包丁や鍋が役に立たないのと同じくらいにね。
だけど、「思考の準備」として頭の中に常に用意しておくと、いざ料理をする時になってめちゃくちゃ役に立つんだ。という解釈をしています。

性質は文系なんだけど、こういうところだけは妙に理系っぽいロジックで考えるクセがあるんだね。ということを、誰かに質問されて気が付きました。

  • この記事を書いた人

武藤太郎

掛茶料理むとう2代目 ・代表取締役・会席料理人 資格:日本料理、専門調理師・調理技能士・ ふぐ処理者・調理師 食文化キュレーター・武藤家長男

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