14世紀といえば、1338年に足利尊氏が征夷大将軍になり室町幕府が成立した時代、室町時代です。この頃から、商品経済の発展によって「造り酒屋の酒」が流通をするようになる。それまでは、自分たちが飲むためだったのが販売をするようになるんだ。しかも、今で言うベンチャー企業みたいな新興勢力として一気に広がっていく。
鎌倉幕府は「お酒を売ったら裁くよ」と言っていたんだけど、足利家はそんなこと言わなかったんだね。その代わりに日本初の「酒税」を取り入れることにした。足利幕府って、実は支配力がそんなに強くなくて京都周辺にしかその権力が及ばないんだ。地方の支配者(守護や地頭って聞いたことある?あれです)からの徴税権を持っていないから、軍事を支えるための財力源が必要だった。その一つが酒税だったと言われている。
昨日も書いたけど、お酒の販売はめちゃくちゃ儲かるから。そこから税金を取るのはスゴく効率が良かったといえるね。
ところで、この時代にとても革新的な変化が起こる。それが「食文化」だ。日本における食のルネサンスと呼んでも良い。
実は、足利家の最も重要な経済活動は貿易である。日明貿易が有名だけど、日元貿易のほうが活発だったんだって。元という国は日本史の中だと「蒙古襲来(元寇)」で有名だけど、日本に与えたインパクトは貿易のほうが大きかった。元はモンゴル帝国のことね。チンギス・カンと言ったら聞いたことあるよね。この国がまた途方もなく大きな国でさ。今のルーマニアとかトルコあたりまでが版図だったんだよね。これで何が起こるかと言うと、中国文化がアチコチに拡散することになる。この影響がイタリアにまで及んで文化革新が起こったのがルネサンスだ。同時代に同じような影響を受けた日本でも文化的な革新が起こるのだから、もうひとつのルネサンスとも言えるかもね。
この時に中国から伝わってきた食文化の代表格が「精進料理」や「普茶料理」といったもので、今の会席料理に大きな影響を与えた。それから、ごま油とか豆醤(まめひしお)に豆腐や麩、まんじゅうといったものまで数え切れない食文化が入ってきた。これが貴族階級に「おしゃれ~」と言われて、中国文化が定着していくんだけど、現代のヨーロッパ風の食事がおしゃれと言われているのと似たような感じだよね。
ところが、完全に中国風にはならなかった。それは、この文化の伝来者が僧侶だったこともある。日元貿易と同じく禅宗の僧侶が元の国に仏教を学びに行ったんだって。空海や最澄の時代は数年だったんだけど、この頃は10年くらいは住み着いて学ぶのが主流。で、きっちり中国文化を体に染み込ませた状態で帰ってくるんだけど、日本の仏教は既に神仏習合が完成していたからね。いきなり中国化しようと思っても、今までの日本流の仕様があったから、カンタンにはいかない。それに、久しぶりに日本に帰ってきたら日本的なことを「やっぱ良いよなあ」と感じる部分もあったかもしれないよね。
ちょっと歴史の勉強みたいになっちゃった。とにかく、海外の文化が日本に流れ込んできて「調理技術の革新」がスタートしたってことね。
もう一つ大きな要因は「守護と地頭」が力をつけていたということだ。さっきも書いたけど、わりと守護も地頭も自由に領地を支配してた。当然自分の土地が豊かになって栄えたほうが良いから、みんな産業振興に力を入れるんだよね。室町幕府が「ゆるい支配」だっとはいえ、単一政権で争いの少ない時代でもあったから比較的自由に商品を出荷できる状況になったんだ。
つまり「日本中の食材が流通し始める」ということが起こった。特に、日本の中心地であった京都に食材が集まることになったよね。
さて、このとき京都に集中していた要素を並べてみようか。「日本中の食材」「海外からの調理技術と食材」「造り酒屋」。さあ、これで舞台は整った。日本流「お酒に合う料理」のスタートだ。
会席料理や本膳料理の形式が整うのはもう少し後の話だけど、「肴」を主体とした料理のスタイルが徐々に登場し始める。それまでは「ご飯を美味しく食べるための料理」が中心だったから、「肴」スタイルが確立していったことは、日本料理史上大きな転換点といえる。というのも、本膳料理、会席料理、饗応料理は「お酒ありき」の料理として発達したものだからね。
今日も読んでくれてありがとうございます。まだまだ日本酒と日本料理の深い関係は戦国~江戸に向けて華々しい進化を続けていく。それが、現代の日本料理にも繋がっているし、そもそも居酒屋という世界でも珍しい文化を生み出すことになったよね。