「教養」という言葉が日本で初めて使われたのは掛川でした。江戸時代、掛川藩にはあらゆる身分の人たちが学ぶことが出来る「教養館」という藩校がありまして、それが日本で最初の「教養」という言葉だそうです。それが、いつの間にか日本中で当たり前に使われるようになったんですね。
さて、「教養」って一体何だ?というのが今日のお題です。「あの人は教養がある」というとき、どんな意味で使っているんでしょう。そんなことをちょっと考えてみたいと思います。
僕が元々持っていたイメージは「土台になる基礎知識」というものです。これはもう、ホントになんとなくですね。学生時代のことなんですけど、例えば「理系」や「文系」に分かれて学問をより専門的に掘り下げていくじゃないですか。もっと先々は、さらに絞り込んだ専門性の高い学問に進んでいくという領域が待っていますよね。○○学部ってな具合で。この対義語として「教養」というものを捉えていたような気がします。意味がわからないので、他のものと対比することでしか解釈が出来ないという状況です。解釈できていないんですけど。だから、大学の教養学部なんてのは一体何を学ぶのかがさっぱりわからない。今でもよくわからないです。
調べれば良いのですが、それでもピンとこないので、ここはじっくり自分の頭で考えてみます。
まず、教養を学ぶと言うのですから学問と捉えて間違いなさそうです。学問は知識を得ることと自ら考えることの組み合わせ。ここがわかると「教養」の意味がわかるかな。先程の教養館は江戸時代の藩校だから、そこで学ぶものと言えば、論語や歴史、そろばんが定番です。そういう時代なの。「どこぞの偉い人がこう語ったのはどういう意図か」だったり、「歴史上こんな事があって、その結果はこうだ」ということを帰納法的に知識を収集していく。教養館で教えていた内容の具体的な資料は見つけられなかったんだけれども、まあそんな感じだよね。
じゃあ、ここから何を見出していくことを目的としていたのかということになるよね。何かの役に立つことといえば、商人にとってそろばんは必修だろうし、農民であってもそれは有用だろう。だけど、当時の農民が歴史や論語を学んで、生活の役に立つということがあったんだろうか。例えば、米の生産量が上がるとか、そういうことでさ。ビジネスに役立てるという観点では、あまり使えないような気がするよね。どちらかと言うと、人生が豊かになるとか気持ちが救われるとか、そういったことじゃないかな。
そう言えば、教養館はあらゆる身分が平等に学ぶ場だった。ということから考えていくと、「運命として与えられた立場」から「自由になる」ことが大事だったのかな。ずっと後の時代の書物だけれど、福沢諭吉の学問のすゝめにも同じようなことが書いてあるよ。人生が豊かであるかどうかは「生まれ育ち」ではなく、学びによって変わるんだって。
ホントのところはわからないままだけれど、こうやって書いているうちに「僕自身が納得できる答え」にたどり着きました。ということで、これを「正解」ということにしようと思います。僕にとっての正解ね。