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今日のエッセイ 日本の食文化には「メイン」という概念がない。 2022年5月9日

2022年5月9日

まれに「今日のメインはなんですか?」と尋ねられることがある。その発想はなかったなあ。そう、ないのだよ。そもそも、日本の食文化において「メイン」という発想が存在していない。それは、あくまでも現代みんなが知っているフランス料理と、その派生で誕生したヨーロッパ流の料理だけの話なのだ。言い換えると、日本以外の国々で古くから伝わる食文化では、メインが存在しないこともよく見られるのだ。

「おかず」という言葉の語源は、「数々の食べ物を取り揃える」という意味で「数々の副菜」となり、最終的に「おかず」に落ち着いたわけだ。つまり「おかず=副菜」なのである。おかずの中にメインとかサブの概念はなくて、みんなフラット。

では、なぜこのような食文化を形成してきたのだろうか。

元々、日本には一汁一菜という概念がある。お米を中心とした穀物からなる「主食」。そして、その相方となる「汁物」。汁物は中世以降から味噌汁で定着しているけれど、ざっくりと汁物であれば良い。汁物は色んな食材を放り込んでしまっても、ちゃんと美味しくなる。よほど変な組み合わせをしなければ、たいがい美味しく食べることが出来るのだ。仮に美味しくなかったとしても、ちゃんと加熱されていて、手軽に調理ができて、栄養素を摂取することが出来るわけだ。水溶性の栄養素だって、汁を飲むのだから余すこと無くいただくことが出来るよね。

まずは、体を健康に維持することが主目的としてあって、そのうえで美味しいし手軽であるということだ。この発想の延長上で、味噌がとても都合が良かったということなのだ。かなり古い時代から味噌や味噌の原型が調味料として確立していったこともあるし、栄養面でも優秀。となれば、動物的な嗅覚で味噌汁が定着していったと考えるのが自然だろうと思う。

さて、この一汁一菜をベースにして、その周りにおかずが存在するのが日本料理の原点だ。ヨーロッパ流にどれかをメインとするならば、「主食+汁物」というコンビがメインだ。つまり、「ご飯と味噌汁」である。ともすると、このコンビを脇役のように捉える人もいるらしいのだけれど、実はそうではない。と、論理的に説明しても反論があるかもしれないね。ただ、脇役のように解釈している人であっても、多くの人はこのコンビをちゃんと主役として扱っているのだ。美味しいおかずを食べると、ご飯がすすむ。ご飯を食べるためにおかずがある。知らず知らずにやっている人も多いのじゃないかな。

副菜としてのおかずは、どのような感覚なのだろうか。そもそも、日本料理は一汁一菜で完結しているのだ。おかずが無くても、なんら問題はない。

栄養面での補完の意味合いが一つに挙げられるかな。焼き魚があると動物性タンパク質、それにお浸しが付けば食物繊維と言った具合。もうひとつは、食事の楽しみだろう。今の時期だったら、アジやイワシという旬の魚を焼き魚にする。ホウレン草やナスなんかもいいよね。こうやって、季節を感じるような「彩り」を添える役割を果たしているのだとも見える。

ヨーロッパ料理でメインという概念が発達したのには理由がある。そもそも、現在フランス料理と呼ばれている料理のスタイルは、フランスを代表する食文化のスタイルではなかった。あれは、オーギュスト・エスコフィエという宮廷料理人が体系化したものだ。極端に言ってしまえばオーギュスト・エスコフィエ料理。

ただし、メインという概念をエスコフィエが作り出したわけではない。それは長い歴史の中で、培われたスタイルである。貴族階級の中での話だが。

今日も読んでくれてありがとうございます。とても中途半端なところで話を切ってしまって、読んでいる方には申し訳ない。ちょっと長くなってきたしね。まだ会席料理の話までたどり着いていないから、もうちょっと続けて書こうかな。「日本料理にはメインがない」

  • この記事を書いた人

武藤太郎

掛茶料理むとう2代目 ・代表取締役・会席料理人 資格:日本料理、専門調理師・調理技能士・ ふぐ処理者・調理師 食文化キュレーター・武藤家長男

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