エッセイみたいなもの

今日のエッセイ 東海道シンポジウムの準備途中経過 2021年5月19日

2021年5月19日

東海道シンポジウムin掛川日坂の準備が少しずつ形になり始めました。このコロナ禍の中でどこまで出来るかというのが難しいところではありますけど、やれるだけのことは頑張るよ。なんだか流れというか、皆の期待に応えようと頑張るんだけど、100%ボランティアなんだよね。ぼくの労働時間と出資額を一度見直したほうが良いのかもしれない。

さて、そんなボヤキはさておき。楽しいからやっているだけで、手を緩める気は毛頭ない。

34年前?に土山宿の大先輩方が初めた「東海道宿駅会議」。おらがまちをもっと深く知るために、そして未来を自らの手で作り出す為に、宿場町として栄えた昔をしっかり見つめ直そうという活動だったんだって。温故知新だね。

物理的に遠くに移動することが出来るようになると、自分のことが相対的に見えてくることってあるよね。田舎から都会に行く。例えば進学や就職なんだけど。そういう「移動」をすると、結果的に「地元」のことがよく分かるということがある。地元のプライドとかアイデンティティみたいなものを認識するような感覚。特に海外へ行くとわかるよね。「やっぱ日本ってえーなー」みたいなこと。
これを物理的な広さではなくて「時間的な広さ」へ移動することで、相対的に自分たちが置かれている状況を把握できるということがあるよね。かつてはあんなに栄えていた「宿駅」という繁華街。今はどうなっているのかというのが、感覚とロジックを組み合わせてわかる。正確なファクト認識に近づく感じがするんだよね。

今回のシンポジウムは「宿駅は今も生きている」というのをテーマに実施するんだけど、そもそも「今も生きている」と言わなきゃいけない状況だということを僕らは認識ないといけないんだよね。文字通り、どこにも行けない。昔を懐かしんで、昔のとおりに復活させたところでなんにもならない。だって、時代背景が全く違うからさ。
そもそも、「駅」が「馬のため」から「電車のため」に変わったわけでしょ?今はもう、馬を移動手段に使っている人はいないから。馬や徒歩のための駅だったのが宿駅。それが電車に移行した時点で、宿駅としての機能は電車の駅の近くに移るのが道理だもんね。

かつて栄えていた宿駅を学び直すことで、これからの宿駅がどうありたいかが見えてくるかもしれない。歴史的な価値だけじゃなくて、人や物の流れ、どういう理由でどこに滞留して経済の基盤になっていたのか。ということを時間軸で見たら、少しはこれからの時代を見つめる助けになるかもしれない。そんなふうに考えての「宿駅は今も生きている」なんですよ。

今の段階では、こんなスケジュールを考えています。
10月16日午後
式典
基調講演 小和田哲男氏
高校生による動画づくり発表
掛川宿まち歩き
交流会
10月17日午前
日坂宿まち歩き
宿駅を巡りながら動画作成を高校生と一緒に

感染症対策はしっかり行って開催に向けてというところだけれど、現時点では開催できるかどうかが微妙なところだよね。感染力が強い変異種が増えているということだけれど、手洗いうがい、マスク、三密の回避をしっかりすれば、変異種もある程度抑えられるということだからね。基本のキ。が大切だね。

  • この記事を書いた人

武藤太郎

掛茶料理むとう2代目 ・代表取締役・会席料理人 資格:日本料理、専門調理師・調理技能士・ ふぐ処理者・調理師 食文化キュレーター・武藤家長男

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