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今日のエッセイ 生食は野蛮人? 2021年9月1日

2021年9月1日

日本人は何でも生で食べようとします。語弊があるかもね。けれども、たしかに「生でもいけるんじゃない?」という発想はどこかにあるよね。

諸外国から見ると、食材を生で食べようとする試みは野蛮と思われている。近年では刺し身や寿司が認知されてきていて、比較的認められてきた感じがするけどね。それでも敬遠する人がいるのも事実だ。ホントに生食は野蛮なんだろうか。

ちょっと調べてみると、生食は体に良いということが分かる。海外でもローフードとか言って、なるべく加熱処理をしない調理技法が流行しつつあるんだよ。なぜ流行しているのか。それは、日本人が古くから生食を取り入れてきた理由と合致する。
魚や野菜には、それそのものが持つ酵素がある。自己融解酵素という。
これが、とても体に優しい働きをするからなんだね。

自己融解酵素は、平たく言えば食材が自らの力で融解されること。だから、人間は自分の酵素をたくさん働かせなくても、消化しやすい常態で摂取することが出来る。なんて、楽ちんなんでしょう。この自己融解酵素は、加熱すると不活性化してしまうんだよね。生のまま摂取することで、酵素も生きたままだから、体内でその酵素が働いてくれるってこと。
発酵食品でも、酵素が生きたまま腸に届くって謳っている。この酵素とは種類が違うけれど、酵素パワーを利用して健康に有用だという部分では同じことだろう。

歴史的に見ても、「生で食べられるものはなるべく生で食べようとする」のは日本だけじゃなかったみたいだよ。それこそ、世界中の色んな国で見られる。ただ、食糧事情によってそれがかなわないから、否応なく加熱処理をせざるを得なかったという見方も出来そうなんだよ。
特に、内陸地や農業の発展段階で苦労した地域は、そうそうに加熱調理が中心になっていく。まず、獣肉は生食に不向きであること。そして、穀物の収穫が少ないことによって、肉や魚を長期保存して食糧に充てなければならないこと。向かない食材は、しょうがないよね。そりゃ加熱しましょう。あと、長期保存しなくちゃいけないってことは、鮮度の問題が出てくるわけだから。古い食材を食べるんなら、ちゃんと加熱しましょう。

もちろん、この見方が全てに当てはまるわけじゃないよ。だけど、中世初期のヨーロッパを見てみると、一部の地域では魚を生食していたらしいんだ。ただ、漁業とその後の流通や、処理方法なんかが確立される前に廃れていってしまった。現に、海沿いの街では牡蠣はちゃんと生食だし、魚の生食だって一度は廃れたものの日本料理の影響を受けて復活したカルパッチョなる刺し身もある。生食自体は一度廃れてはいるけれど、文化としては残っていたってことなんじゃないかな。

焼いたほうが美味しいし、消化に良い。そういう料理もある。日本料理だって、全部が生ってわけじゃないもんね。会席料理でも、生で供されるのは一部だけだし。生のほうが美味しいし、消化に良い。そういう料理も存在している。
この両方を楽しむことが出来るというのは、もしかしたらとても幸せな境遇に生まれたんじゃなかろうか。ニッポンという島国の風土がこれを支えているということなんだろうね。

今日も読んでくれてありがとうございます。映画のワンシーンで「寿司ってコスパ悪いよね。生の魚をライスに乗せるだけなんて。手間賃かからないじゃん」というセリフがあった。「美味しい。という価値にお金を払ってるから、気にしたことなかった」と別の登場人物が切り返す。そういう見方もあるんだって、面白いなと思ってさ。アメリカ映画の中の会話ね。生で美味しく食べるための調理があるんだけど、知らないとそう見えるんだろうね。

  • この記事を書いた人

武藤太郎

掛茶料理むとう2代目 ・代表取締役・会席料理人 資格:日本料理、専門調理師・調理技能士・ ふぐ処理者・調理師 食文化キュレーター・武藤家長男

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