エッセイみたいなもの

今日のエッセイ 目から鱗が落ちるってどういうこと? 2022年2月16日

2022年2月16日

目からうろこが落ちるって、どういうメタファーだ。実際に目からウロコが落ちてきたことなんかない。そもそも、目にウロコは入っていないだろう。せいぜいコンタクトレンズくらいなものだ。ぼくは、視力が良いからコンタクトレンズにすら用がない。

辞書を引くと、「何かがきっかけとなって急にモノゴトの事態がよく見え、理解できるようになる」とある。そこは理解できるように思えるのだけれど。

誰か、「目から鱗が落ちる思い」という感覚を本格的に教えて欲しいものだ。

比喩表現へのツッコミはさておき。目から鱗が落ちる事自体はとても好きだ。

オーバーな表現かもしれないけれど、それまでの自分が持っていた世界観が音を立てて崩れていく感じかな。見方を変えたら、そんなふうに見えるのかあっていう衝撃がなんとも言えない快感なのだ。M気質はゼロに近いのだけれど、ここだけはMと言えるのか。

なにか、モヤモヤしていてよくわからないものがあるとする。というか、世の中の大抵のことはそうだ。知らなくても生活に困らないとか、気にならないものならそのままにしておく。全部を把握するには時間が足りないからだ。

興味があるもの。それが純粋な好奇心からくるものでも良いし、実生活のなかで必要があって興味を持たざるを得ないものもある。

課題というと大げさなのだけれどね。ちょっとは、わかるようになってスッキリしたいと思うことだ。

スッキリするために、現状を変える必要があることもある。

歯ブラシがなくて手で歯を磨くのが大変だ。という課題ならば、すぐに小銭をもって薬局でもコンビニでも行って、歯ブラシを買ってくればいい。こういう課題解決のための行動をソリューションなどと大層な名前をつけて語っているわけだ。

なぜ、歯ブラシを例に挙げたのかは知らない。ぼくの手が勝手にそうタイプしたんだよ。

目から鱗が落ちるというのは、見方を変えたら現状が全く変わっていないのに解決したように錯覚することだ。そもそも課題が錯覚だと気がつくこと。それまで思い込んでいた価値観がぶっ壊れるしかない。これが快感なんだよね。自己否定とはちょっと違うけれど、なんだか脱皮したような気がするんだ。

一生懸命に頑張って働いて、やりがいもあって充実しているけれど、週末は疲労で寝てばかり。どうしたらいいんだろう。もっと自分が成長しなくちゃ。と張り詰めていて、それが別におかしなことでもなく、常識だと思っている。むしろ、頑張っていない人を見るとイライラする。

そんな人がいるのか。いるんだろうな。

それ、楽しい?世の中には楽しくてやりがいがあって、週末も充実しているような働き方もあるよ。やめたら?

なんて言おうものなら、高い確率で怒りだすことだろう。

あくまでも想像だけど。

目から鱗が落ちると、なぜ自分がその場所にとどまりたいと思っているのかがわかることがある。今の例とは違うけれど、とある後輩の相談を受けたときもそうだったな。とにかく話を聞いていったら、結局その仕事が好きなんだということに落ち着いたらしい。翌日から、急に仕事自体が楽しくなったとさ。

今日も読んでくれてありがとうございます。見方ががらっと変わって、ほんのちょっと動きが変わると、世界が違うものに見えることってあるじゃない。そういうの、なんか良いよね。

  • この記事を書いた人

武藤太郎

掛茶料理むとう2代目 ・代表取締役・会席料理人 資格:日本料理、専門調理師・調理技能士・ ふぐ処理者・調理師 食文化キュレーター・武藤家長男

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