このエッセイも、しばらく料理や食べものについて書いていない。ということに、今気がついた。コアな話は「たべものラジオ」と重複するのでネタとして書かないことにしている。それにしても、少なすぎるよなあ。
ということで、無理やり書いてみる。
先日、質問があったので「食事マナー」についてだ。
見返していないからわからないけれど、たぶん過去のエッセイでも書いている。
基本的に、マナーは気遣いのための所作。
どういった行為が周囲への気遣いになるのか。それを考え出すのは大変なので、ある程度まとめてくれてあるものが礼儀作法である。
日常会話に置き換えてみよう。誰かに呼びかける時、いきなり「おい、お前」と言う人は少ないだろう。学生時代からの親友でもない限り、相手は怪訝な顔をするはずだ。試しに、会社の上司や学校の先生相手に「おい」と言ってみて欲しい。その後の生活が面倒なことになるだろう。
同じように、レストランで「おい、水もってきてくれ」と言ってみよう。周りの何人が不快な気持ちになるだろう。
礼儀作法とはそういうものだ。
近代以降、よくわからない「マナーぶったマナー」が横行している。これを見極めるポイントは、上記の例に当てはまるかどうかである。
おにぎりを上品に食べるマナーは、大口を開けずに、歯型が残らないように平らに食べすすめる。
当てはまるのだろうか。
笑い話ではなく、自称マナー専門家たる人物がテレビで語っていた。
咀嚼する時に、口の中が見えないようにする。くちゃくちゃ音を立てて食べない。箸を舐めない。箸で人を指さない。お椀の蓋は上に向けて置く。舌なめずりをしない。食器を叩いて楽器にしない。お酒を無理強いしない。徳利を倒さない。財布やケータイをテーブルに置かない。
知っている人にはアタリマエだけれど、知らない人も多い。それは、すなわち敬語を使えない人と同じ扱いになるということだ。
覚え方は簡単。今の食事に関わっている人や自然に対して、敬意を払うことだ。一緒に食べる人、お店の人、食材を作る人、食器を作る人、野菜、魚、などなど。
精魂込めて作られたお椀やテーブルを粗末にすることなど出来ない。だから、なるべく傷まないように丁寧に扱おう。と考える。
日本の礼儀作法は、自分を取り巻く輪を広く捉える。自然信仰のせいかもしれない。そういう文化なのだ。
だから、渡し箸も無作法とされる。お椀などの上に箸を置くことだ。これは、縁を切るに繋がるとして忌み行為にあたる。日本語には元々文字がなかったから、音を重視する言語である。だから、ダジャレのように思うかもしれないが、同じ音は同じくらいの意味を持つとされている。音を大切にするから言霊という発送になり、実は今でも現代人に影響している。そして、ネガティブなコトはポジティブ表現に置き換えようという啓蒙に繋がっている。
脱線したけれど、縁を切るのは目の前の人であり、神様であり、自然である。という観念があるから、礼儀作法に反するというわけだ。敬意を払う対象が広範囲に広がっているというのは、こういうことである。
今日も読んでくれてありがとうございます。具体的な礼儀作法を書き出そうかとも思ったけれど、そういうことはアチコチに書いてあるからね。ググればいくらでも出てくるし。ただ、玉石混交だから見極めのポイントを書いてみたというわけだ。