「美食」は、歴史上の長いあいだ一部の人達だけのものだったし、美食をおおっぴらに話すことははばかられることでした。
歴史上、多くの人が食糧不足に悩まされない時代というのは近代以降のことだ。食糧の絶対量が足りていない状況で、一部の人たちだけが美食を楽しんでいたのなら、それは不平等感があるよね。あの人たちばっかりズルいということになる。だから、美食についての会話というのは公衆の面前で話すことが出来なかった。
グルメ番組がこんなに人気がある現代では想像できないかもね。それだけ日本人が豊かになったということだよ。貧しい時代にあんな番組が放送されていたら、苦情の電話がなっていたかもしれない。そんな背景があるからこそ二宮尊徳も「美食は慎むべし」と言っている。
そんなこと言っちゃったら、ぼくらの存在意義が揺らいでしまうようだ。けれども、時代とともに「美食」は別の新たな価値を持つようになった。
美食は、現代においては違う価値を持っていると思う。大仰に言えば「人類の創造性を豊かにするもの」だ。創造性は、社会にイノベーションを起こして文明を次のステージへ導くものだ。新しい価値観を生み出して、世の中にインパクトを与えていくよね。
この創造性は、ある行動や環境によって磨かれていくということは近年で解明されてきているそうだ。科学的に解明されなくても、感覚的に「でしょうね」というようなことだったりもするのだけど。イノベーションというのは、過去のデータから算出しても生み出されない。だって、過去のものを過去の文脈で問いても過去の結果しか産まないわけだからさ。未来は難しいじゃない。そこで創造性が出番。
創造性は、思考や心を開放することで育まれるそうだ。だから、世界のエグゼクティブたちは「ZEN(禅)」に取り組むようになったのだ。アメリカではビル・ゲイツがZENについての本を出版したことで有名になったよね。
思考や心を開放することに対して、一定の効果があるのはZENに限った話じゃない。美術を楽しんだり、旅行にでかけたり、映画を見たり、山に登ったり。いろいろある。ぼくは「今目の前にある物事に集中する」というところが共通するんじゃないかと思っている。そして、それが「楽しい」と感じるものだ。だから、夢中になってスポーツをするも良いし、楽器を演奏するのも良いよね。
そうすると、どういうわけだか「リラックス」するんだよねえ。なんでだろう。脳科学を勉強したら分かるのかな。学術的な理論は置いておいて、リラックスしてとてもいい心持ちになるよね。リラックスしていて、なおかつエモーショナルでリフレッシュしている状態。気が緩んでいるのに、テンションが上っていて、やる気が湧き上がる状態。なんだか矛盾した状態が同時に起こっているのだけれど、どうやらこれが創造性を発揮することに繋がるような感じだ。
食べることが楽しいという人は、思いの外多い。だよねえ。人間だって動物だもの。本能的に快楽を得る対象であったりする。食事を楽しむことに全集中すると、禅や旅行と同じ効果があるはずだと思うんだよね。自分自身でもそうだし、お客様たちを見ていると肌で感じるんだ。
だからね。非日常の美食っていうのは、昔のようなただの贅沢ではなくて「人類の創造性を豊かにする」ことに優位に影響があるといえるはずだ。と信じている。
今日も読んでくれてありがとうございます。毎日を美食にする必要なんてない。毎日趣味に山登りをしたり、毎日芸術に勤しむわけじゃないようにね。ただ、ときにはそういう時間がぼくら人類にとってはとても有意義だということだろうと思うんだ。ぼくらも作るばっかりじゃなくて、食事にでかけたいなあ。