正月の遊びって、今はあんまりやらなくなっちゃったのかな。凧揚げに羽つき、コマ回し、福笑い、かるた。古典的な正月遊びとされているものは、見かけなくなったような気もする。
わずか数十年で大きく変わったんだね。
かるたって、なんだかクイズみたいだよね。ヒントを読み上げてもらって、答えの札を早いものがちで取る。まるで早押しクイズみたいじゃない?
カルタ遊びの元になっているのは、もちろん百人一首だろう。上の句を下の句をしっかり暗記していないと歌が合わない。そもそもゲームにならない。
その上で、場所まで把握しながらスピードを競う。頭脳と反射神経を組み合わせたスポーツっぽいところがあるよね。
ぼくの場合は、いくつかの句をなんとか思い出すのがやっと。
これじゃ競技にならないか。
歌を元にした遊びには、連歌がある。
学生時代に、授業の一環でやったことがあるくらいだけれど。今思うと、とてつもなく凄いことをやる遊びだと思う。
1人が上の句を詠む。その上の句を受け取って、次の人が下の句を詠む。そして、また次の人が今度は下の句を受け取って、上の句を詠む。その繰り返し。
これは、会話そのものじゃないか。
日常会話、雑談で面白いのは、誰かの発話に乗っかっていくこと。乗っかっていくのだけれど、ちょっとずらしていく。連想ゲームの連続なんだよね。
持論だけれど、おもしろい会話っていうのはこういうことなんじゃないかと思うんだよ。意見をぶつけ合ったら議論になってしまうし、反対意見は対立を生む可能性もある。
相手の話に半分乗っかって、発想を転換させていく。お互いに半分ずつ発想や意見を出し合って、発想が飛躍すると面白いと感じるわけだ。
「今朝は特別に冷え込みますね」「ええ。寒すぎて家の中でダウンを来ていたら妻に笑われましたよ」「屋内でダウンを着るのであれば、外出したらさらに厚着しなくちゃならないですね」「そうそう、身動き取れなくなっちゃいますよ」
転がる会話って、だいたいこうやって進んでいく。
立ち話や飲み会の雑談なんかに、大した意味なんかいらなくて、情緒を楽しむだけの時間で良いんじゃないかと思うよ。
実際、会話の大半はそうだしね。
今日も読んでくれてありがとうございます。正月遊びからずいぶんと話が転がったもんだ。気がついたら、会話についての話になってたよ。