料理というのは全部がメインじゃ成り立たないのです。というような話をどこかで聞いた気がするのだけど、出典が何だったか忘れちゃった。こういうの多いんだよなあ。どこで見聞きしたのかがわからなくなっちゃうの。まあ、本題とは関係ないから良いか。
コース料理でも、一品でも良いのだけど、これは芯を捉えた言葉だと思う。ラーメンやそばを捉えて、麺だけじゃ成り立たないということを言っているわけじゃなくて、コントラストが大事だっていう話ね。前に五味の話を書いたけれど、甘い酸っぱい苦い辛いしょっぱいという原色としての味があって、それぞれに組み合わさったり、バランスを取り合ったりして料理を美味しくしているんだってこと。
「旨いは甘い」ちょっと前にそんなCMがあって、北大路魯山人が言ったとされているんだけど。それはあくまでも「単体で食べるとき」の食材のことを指しているし、そもそも動物的に欲する味は甘みだと言っているに過ぎない。これを、拡大解釈して「旨い」と「甘い」をイコールのように表現したのがこのCMの影響かどうかは知らないけれど、いろんな野菜が甘くなってしまって僕ら料理人としては、ちょっと困ってるんだよね。
例えば煮物。ジャガイモが甘くて、ほうれん草が苦味をもっていて、生姜が辛くて、ゴボウが独特の香りを出して。その中に、うま味を主体とした魚や肉が入っている。そんな状態を想像してみよう。あ、お腹減ってきた。そんな場合じゃないけど。
この中で言えば、ジャガイモが甘みを担当してくれている。ジャガイモがより甘く感じるためには、ほうれん草の苦味や、生姜の辛味が実はとても大切なのよ。はっきりと違う方向に味覚を引っ張ってくれるからこそ、ジャガイモの甘さを際立たせてくれる。こういうことって、よくあるでしょ。周囲とのバランスで相対的に見る感覚。だから、料理っていうのはひとつのお皿の中でも相対する食材で陰影を演出しているとも言えるんだよね。身近なところでは、ざるそばに入れるネギとかワサビも同じだ。もちろん、ネギやワサビの香り自体も美味しくて、そのものを楽しむ部分も大きいよ。だけど、この薬味が入ることでつゆの輪郭がはっきりするし、結果としてソバもより美味しく感じられるってことも見逃せないよね。
こんなふうにして、実はコースの中でも陰影をつけている。献立を考える時に、全部が全部主役級だと全体がとてものっぺりした食事になってしまうんだよね。これさ。知っている人には「そんなの当たり前じゃん」って突っ込まれるところなんだけど、知らない人も結構多いんだよ。意外にも、飲食店の中にも知らない人がいるんだから。このくらいは、調理師学校で教えていると思うんだけどなあ。学校行ってないから実際は知らないけど。
まちづくりとか、組織論とか、経営とか、まったく違うように見えるジャンルでも、この陰と陽の関係が同様の働きをしてるかもね。ということに最近気がついたら、気になってしょうがないんだけど。
例えば宿場町。これは前にも書いたけど。東海道シンポジウムin掛川日坂宿大会を運営するにあたって、改めて掛川宿の町並みを調べてみたんだ。書籍も見たけれど、旧来の街道の記憶を留めている人たちの話をよく聞いている。そうすると、街道沿いは「陰と陽」のまちづくりがされていたんじゃないか、と思えてくる。
宿場の表通りは、旅籠だとか呉服屋だとかの「陽」の雰囲気を持った職種が軒を連ねている。一方でいわゆる居酒屋だったり、遊郭みたいなものは東海道本筋から一本裏手の路地にあることがわかる。つまり「陰」の部分だよね。
他には、別の宿場町には裏手通りがないということもある。これは多分土地の面積の問題だと思える場所なんだけど、こんなところでも陰と陽はうまく分離と調和をしているんだよね。宿場の上手下手でグラデーションになっていたり、昼と夜とで商売の仕方が変化していたり。とにかく、まるで夕焼けの空みたいにグラデーションになっていて、それが場所や時間をうまく取り入れてコントロールされている。だからこそ、昼と夜とでコントラストが明らかになって、お互いに引き立てあっていたのかなあ。そんな感じに見て取れるんだよね。
今日も読んでくれてありがとうございます。他の世界に「陰と陽のコントラスト」を持ち込んでみると、いろんなことが見えてくるよ。どっちが陰でどっちが陽でも構わないのだけど、まるで正反対のように見える2つがグラデーションになって共存することで、互いが生きるということは、実はとてもよくある現象なのでは?と思うわけだ。