エッセイみたいなもの

今日のエッセイ 食とそのタブーについて 2021年10月26日

2021年10月26日

食文化のなかには「タブー」がいくつか有ります。「これは食べちゃいけないんだ」ってね。個人的なものであれば、嗜好や思想の問題だから自由にしてくださいってもんだけど。社会の側で定義されているものもけっこうたくさんある。ざっくりと分類すると3つかなあ。
宗教、感情、生命維持。思いつきだから、大した根拠もないしミームにもなっていないや。まあ、今日のところは許してください。

宗教的に食べられないものは思いつくものがいくらかあるよね。日本人にとって馴染みの深いのは、肉食禁止かな。現代ではかなり薄れているけれどね。古墳時代に日本に仏教が伝わってきたときに、仏教が肉食を禁じてたいことから始まる。何度も朝廷や幕府からの命令が発せられていて、千年くらい続いた。
他にも、イスラム教では豚肉を食べないし、ヒンズー教では牛肉がダメというのは有名だよね。世界中の宗教食を調べれば、宗教的な食のタブーは多種多様だ。動物の種類だけじゃなくて、食べ方や部位、食べることが出来る人までが限定されていることもある。なぜか、宗教的タブーの食は「肉」が多いんだよね。これはこれで興味深い。

感情は、ちょっと不思議に見えるんだ。ぼくにはね。宗教的な感性から切り離されて「食べちゃいけないと信じられている」もののことなんだけど。たいていのものは「なんとなく」や「イメージ」で決まってる。わかりやすのは極端な菜食主義かな。宗教的な理由を除いてのはなしね。
これも食文化のひとつと思えばそうかもしれないけれど、有史以前から動物としての人類は「動物も野菜も食べる」ことで命を繋いできた。人類として地上に降り立ったばかりの頃は、木の実や果物しか食べない動物だったんだよね。だけどそのままじゃ全滅しかねない状況だったのよ。だから、他の動物を捕食することで存続してきたわけ。そういう意味で極端なことを言ってしまえば、人類の存在否定に近いとも言えるかもしれない。とりわけ「動物さんがカワイソウ」みたいな理由ではね。人類って業が深いんだよ。
ほかにもただ単純に「気持ち悪い」ということもあるね。ヨーロッパのいくつかの国では「タコ」を食べないよね。神話の影響もあるから宗教っぽいところもあるけれど、だいたい「気持ち悪い」という理由だ。日本人だってそうだよ。虫なんか嫌じゃん。逆の場合もあるよ。愛玩動物だから嫌だって。犬猫猿はそうなるよね。だけど、これらを食べる社会も存在するからね。日本だって長いこと犬は食料だったし。
現代人の感覚だと、気持ちの良い話ではないからこの辺にしておこう。

生命維持のために食べないものはわかりやすい。まず、毒のあるものは基本的にタブーだ。当たり前だよ。生きるために食事をしているのに、食事が原因で死んじゃったりしたら意味がないもの。きのこも食用禁止のものがあるし、魚にもある。鳥獣はあんまりないかも。
もう一つの観点で生命維持が理由のタブーがあるね。これは、人類や社会全体を守るためというタイプ。絶滅危惧種は食べるのをやめとこうっていうやつね。でもまあ、現代見られる絶滅危惧種のほとんどは「人間に食べられた」ことが原因でそうなっているわけじゃないんだよなあ。象牙が欲しいとか革が欲しいっていう理由が主だった時代もあるし、環境破壊で済むところが無くなってしまったこともあるから。ともあれ、個体数が少ないわけだから食のタブーに含んでいるわけだ。これはまあしょうがない。

ところで、毒のあるものをタブーと書いたけれど、そうじゃないか。毒性が部分的であれば除去すればいいしね。全体が毒性を帯びたものはダメだけど。ふぐなんかは、その典型だよね。毒の部分を除去すれば中毒になることはない。有毒部位がはっきりと分かっているのだから、ちゃんと勉強したヒトであれば毒の除去なんてことは造作もないのだ。知識や技術が確立される前は大変だっただろうなあ。そういう時代はタブーになるね。

今日も読んでくれてありがとうございます。ぼくらは、試験と訓練を重ねてふぐ食を提供しています。自宅で調理するのは違法じゃないけれど、やめて欲しいです。命がけの食事なんて嫌でしょ。どうしても釣り上げてしまったのであれば、有資格者にお願いするのが良いよ。困ったら電話ください。

  • この記事を書いた人

武藤太郎

掛茶料理むとう2代目 ・代表取締役・会席料理人 資格:日本料理、専門調理師・調理技能士・ ふぐ処理者・調理師 食文化キュレーター・武藤家長男

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