エッセイみたいなもの

今日のエッセイ 食の好みは、個に規定されるのかな。 2022年6月2日

2022年6月2日

梅干しというのは、かなり強烈な味だ。好きな人にとっては、ただただ美味しいだけのものだろうけれどね。想像してみて欲しい。世界中の人たちに同じ味の梅干しを食べてもらったとして、何割の人が「美味しい」と答えるだろうか。こんなのは人間の食べるものじゃない。という人がどのくらいいるだろうか。そんなアンケートを採る人はいないから、答えは出ないけどね。

梅干しみたいに、他所の国から見たらとんでもないと感じる食品というものはあるよね。例えば、タンザニアあたりでは昆虫食が盛んなんだって。コオロギの一種が中心なのだけれど、素揚げにしてパリパリと食べるのが一般的。味は、小エビの素揚げに似ているみたいだ。エビの素揚げは、居酒屋の定番メニューだし、スーパーの惣菜コーナーにも並んでいるよね。

ということで、小エビの素揚げをタンザニアの人たちに食べさせようとすると、どうなるだろうか。味はそっくりで、どちらも美味しい。

タンザニアの人たちに、小エビの素揚げを見せた段階で「気持ち悪い」という反応が返ってくるそうだ。海のない内陸にいる人たちにとって、エビは食べ物ではない。もちろん、知っている。マスメディアもあるしインターネットもあるのだ。海外でエビが食べられているということくらいは、当然知っている。けれども、どうあっても気持ち悪い。もう直感的に気持ち悪い。

そう。日本人の多くが昆虫食を気持ち悪いと感じてしまうように。

こういった現象は、世界中のあちこちで見られるよね。なんなら日本国内でもあるわけだ。トマトスライスに砂糖をかけて食べるのが一般的というのには、驚かされたものだ。逆になにをかけて食べるの?って聞かれて、塩と応えたら驚かれた。

梅干しは、元々醤のジャンルのひとつだったかもしれない。主役は梅の実ではなくて、その液体の方だったかもしれない。ということは、塩梅という言葉のルーツをたどると見えてくる様子なんだよね。だからかもしれないけれど、平安時代くらいに梅干しを食べるようになって、多くの人にとっては「とんでもないもの」だったようだ。こんなにしょっぱくて酸っぱくて強烈な味は食べるものじゃない。これは、海外の人が感じる感想に近いかもしれない。

食文化というのは、食べ慣れるということに尽きるのかもしれないよ。極端な物言いだけどさ。その文化圏で、長い間当たり前の食品として取り入れられてきた食材は、なんの違和感もなく食べられている。そんなもんなのだ。なれない食べ物は気持ち悪いってことになる。ただただ、それだけのことだ。

食のパーソナライゼーションという観点で、これを見るとどの様になるだろうか。

ぼくらにとって、個人の好みっていうのは、もはや自分だけで規定されるものじゃないんじゃないかってことだよね。両親や祖父母からも強い影響を受けているし、育った環境にも影響を受ける。それだけじゃなくて、その土地に根付く歴史や文化にも影響を受けているわけだ。

さらに言えば、気候にも影響を受けていると言われている。日本よりも暑い地域では、甘い酸っぱい辛いが味付けの基本になっている。そういう傾向が強いんだ。タイでは、砂糖にライムの絞り汁と唐辛子を混ぜたものが定番の調味料として扱われている。興味深いのは、同じ組み合わせのものがメキシコに存在しているという事実だ。調べてみたら面白い発見があるかもしれない。現時点では気候が影響しているんじゃないかと思っているよ。歴史的な繋がりがあるかもしれないけどね。

今日も読んでくれてありがとうございます。少し前に、仏教的な個の捉え方は社会との関係性から見出されているというようなことを書いた。あくまでもぼくの解釈だけどね。だとすると、個人の好みってホントに個から生み出されているのかな。どうなんだろう。

  • この記事を書いた人

武藤太郎

掛茶料理むとう2代目 ・代表取締役・会席料理人 資格:日本料理、専門調理師・調理技能士・ ふぐ処理者・調理師 食文化キュレーター・武藤家長男

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