エッセイみたいなもの

今日のエッセイ 親方がいない厨房 2021年2月13日

2021年2月13日

ひとりで働くことも出来る仕事ではありますけど、大体の人は何人かが集まって一つの仕事をしています。そういうのを組織って呼んでいるわけですけれど。

どんな組み合わせで、どうやって働くかはそれぞれの組織によって違います。

むとうは今、家族経営なので家族的な繋がりでの組み合わせで、家族的な働き方です。

父が経営業務に携わらなくなっても父親というポジションですしね。僕はずっと長男のポジションです。

ところで、昔からある板場(調理人たちのいる部署)っていうのは、組織のあり方がだいたい決まっているのです。そこで働くひとはみんな板前さん(料理人)で、それぞれのスキルに合わせて魚を焼くひともいれば、天ぷらを揚げるひともいて、役割を担っています。

そういう役割分担の中で、親方はふたつの役割があります。ひとつは、技術指導。「そうじゃないったら、ここはこうするんだ」なんて言いながら、細かなコーチングをするんですね。で、もうひとつは献立を考えること。もう必死に考えているんです。緻密に献立を考えて、調理法を確定させて板場のひとたちにこれを伝えて、みんなで作る。そういう流れです。

この構図は、板場の人たちは親方の料理を再現することが仕事とも言えます。

板場じゃなくても、こういうチームのあり方ってたくさんあるんだと思います。親方ひとりで全部作ることも出来るけれど、量的にひとりでは間に合わないので他のひとに作ってもらう。

定番化しているくらいですから、当然この組織のあり方には良いことがあって、効率も良いし、全体の統一性も良くなるんですよ。

でもね。

僕がめざしている組織のあり方って、ちょっと違うんですよね。例えば、映画の方向性は監督が示すけれど、どんなふうに役を演じるかは役者さんに委ねておいて、役者さんに提案してもうらう。その演技を見た監督が、その中から方向性にあったものを選び取っていく。といったようなことをやりたいんです。僕自身がそうなんだけれど、料理人はそのほうが楽しいんだと思います。

週末のこのお客様はこんな感じで行こうと思ってるんだけど、それぞれの担当を振り分けるから考えてきてください。と、親方がそんなことを言います。みんなで一所懸命に考えて、持ち寄って、それで良い献立に仕上げていくという作業はとても大変だけれど、ひとりじゃ作り出せない世界観が生まれるんじゃないかと思います。

いま、むとうの板場は親子三人です。話し合いをしたり、お互いの手元を覗き込んで何を作ろうとしているのかを確認したり、そんなふうにして献立を仕上げています。

家族じゃなくても、そんなふうにやっていけたら楽しい板場になりそうです。

  • この記事を書いた人

武藤太郎

掛茶料理むとう2代目 ・代表取締役・会席料理人 資格:日本料理、専門調理師・調理技能士・ ふぐ処理者・調理師 食文化キュレーター・武藤家長男

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