エッセイみたいなもの

今日のエッセイ 料理は音楽に似ている① 2021年2月21日

コース料理って音楽に似ていると思うんですよ。

若い頃にバンドをやっていたことがあって、そのせいで余計にそう感じるのかもしれない。ちなみに、父も弟もみんなバンドをやっていた頃がある。だから、掛茶料理むとうの料理はちょっとバンドっぽい。

と言っても意味がわからないかな。

音楽って、基本的に楽譜が存在する。そして、演奏する楽曲は作曲者が作る。バンドってそういう感じなんです。作曲する人によっては楽譜もなくて、ギターの弾き語りでバンドメンバーに伝えるってこともあるよね。

その楽曲をどう表現していくかは、バンドメンバーの個々の演奏にかかっていて、誰かが編曲を担当することもあるしみんなで音を合わせながら編曲をしていくこともあります。後者の場合は曲はあっても自分のパートの音が決まっていないものだから、もう自由に解釈して自由に演奏していくんだ。もちろん、混乱することもあるけれども、お互いにすり合わせていく作業は中々楽しい時間だった。

普通の料亭は前者に近い。親方とか料理長という人がいて、全体の献立はその人が作る。そうして出来上がったコース料理のそれぞれを各パートごとで再現していくのだけれど、親方が作ったものと全く同じにはならないことが多いですね。この部分はとても音楽的で、例えば音楽だと楽譜通りにぴったりとキレイに演奏してもちょっとつまらない曲になることがある。譜面に現れない、その人の持つ個性というかヨレみたいなものがあって、そのヨレが重なり合って音楽自体にゆらぎを与えている。これが料理であっても、ある程度同じことが起こるのだけれど、違う部分もある。プロの音楽家の集まりだったら一定以上のレベルの人ばかりだから任せられる事が多いのに対して、割と修行中の料理人も多いから親方がしっかり指導してかなくちゃならない。それはそれで親方の持つ世界観をしっかり再現できるから良いのだけれど、ゆらぎは少し小さくなるということも言える。

さて、掛茶料理むとうはどんな店かというと。ジャムセッションに近いかな。即興音楽ね。

お昼ごはんを食べながら「このお客様の料理どうする?」なんて話をして方向性は決めるけれども、焼き魚との付け合せをどうするかだったり、味付けをどうするかだったりは各個人におまかせだ。だから、先程のような一般的な料亭と比べると、ゆらぎが大きかもね。一つ間違えば、ゆらぎどころか統一感がなくなってしまうのだけれど、そこは親子兄弟でやっている強みである。ちゃんと収まるところに収まっていく。こんなところは、とてもバンド的だなあ。

今日も読んでくれてありがとうございます。掛茶料理むとうのゆらぎは、ゆらぎのまま楽しでもらえるとうれしいです。

  • この記事を書いた人

武藤太郎

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