エッセイみたいなもの

今日のエッセイ 「長い話」を伝えるには 2021年3月21日

僕は普段恋愛モノのドラマを見ないのだけれど、何かの拍子に「愛の告白のシーン」というのを目にしたのだ。主人公の男性が、シドロモドロになりながら愛の告白をする。そこそこ長いセリフを、ゆっくりと絞り出すようにして。そして結局振られてしまうのだけど、主人公は妙に晴れ晴れとした表情で、後のシーンで友人に「言いたいことが伝えられてスッキリした」というのですね。これ、よくあるパターンなんですか?
恋愛ドラマのことはよくわからないけれど、「言いたいことを言ってスッキリした」というセリフは時々聞くし、シチュエーションとしてよく見るよね。例は良くないけれど、部下に言いたい放題の上司もそのひとつだし、陰口みたいなのもそうだろうと思う。

さっきの話に戻るけど、告白された女性のほうはどんな気持ちなんだろう。長いセリフを「一所懸命に聞く」というのは、なかなかの労力がいる。愛を受け入れるまではなくても、それなりに好意を持っている相手じゃないととてもじゃないが聞いていられないんじゃないかなあ。別に興味もない相手だと、どんな心境なんだろう。長い話っていうのは、聞く側が好意を持っていないとお互い不幸せな時間になってしまいそうだと思うんだけど、どう思いますか?

というのもね。そもそも「長い話」というのは、基本的に「情報量が多い」んですよ。まれにそうじゃないこともあるけれど、それは今回は言及しないでおきます。一定時間内にたくさんの情報をまともにインプットするとどうなるかは、スマホやパソコンで体験されている通りフリーズするんだよね。つまり処理できなくて固まる。人間の場合は話を聞き流すこともあるよね。
聞き流すっていうのは、フリーズしないために一種の防衛本能が働いている場合と、興味がないから「情報処理をしたくない」という能動的な意図がある場合の2つだ。好きという気持ちがなかったらとてもやってられない作業。それが「長い話を聞く」だよ。

仕事でもプライベートでも、ちょっと長い話をすることだってありますよね。時には「言いたいことを言い切る」必要だってある。そんな時に、相手から多少なりの好意や興味関心を持っていてもらわないと、聞き流される言葉になっちゃうんだ。
実は、講演の講師を依頼された時は「好意」「興味関心」を意識してスピーチを構成するようにしています。学生に話す時は特にですね。だって、講演は絶対に長い話だもの。

  • この記事を書いた人

武藤太郎

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