エッセイみたいなもの

今日のエッセイ 積ん読と読書とエッセイ 2021年10月2日

「たべものラジオ」を始めてから、読書量がかなり増えました。読みたい本と読んでおいたほうが良い本が、デスクに積み上がっていて、積ん読(つんどく)ってのはこういうことかと新鮮な体験をしているよ。

ぼくは、書籍に関しては「本」で読みたいんだよね。ただの好みだと思うけれど。まず、本という物自体があることが良い。タブレットやスマートフォンよりも、紙の本の手触りが好きだっていうのがある。それから、電子機器は目が痛くなるんだよ。ただでさえこうやってパソコンに向かう時間があるわけだから、少しくらい画面から目を離したい。
デジタル機器に囲まれた仕事を続けると、用もなく調理場に行って思いつきで仕込みを始めたりする。そういう時間に何かしら思いつくこともあるし。というか、本来は厨房がメインの職場のはずなんだけれどね。料理人としては。けど、料理人であることと経営者であることは同時進行で進むのだからしょうがない。

タブレットに全ての書籍を入れてしまえば楽なんだろうなあ。というのはわかっているし、実際何冊かは入っている。最近ちょっと老眼が始まったから、細かい文字をさっと拡大できるのはありがたい。これは紙では出来ないもんね。あと、場所を取らない。本棚に納まっている以上の書籍をタブレット一つに治めることが出来るので便利なことこの上ない。それはわかっているのだけど、それでも紙の本が好きなんだよなあ。こういうのは理屈じゃなくて、好きか嫌いかだもん。

そうそう、積ん読もぼくにとっては良いことだと思う。読もうとしていて買っただけで忘れてしまうような本もあるんだけど、本棚にキレイにしまい込んでしまったり、タブレットの中に納まっていると、思い出すきっかけを失っちゃう。いやね。本を買ったらとっとと読めば良いんだけどさ。割とまとめ買いをするもんだから、デスクの脇に積んでおいておくのよ。そうすると、読みたい気持ちが湧いた時にすっと手を伸ばせるからね。

前は、一冊読み終わったら次に行くという読み方をしていたんだけど、最近は読み散らかすことが増えてきたかなあ。読みかけで、かつ進行中の本が数冊ある。開くと、あれ?どこまで読んだっけ?みたいな感じで効率が悪いのだけど、気分に合わせて読みたいものを変えられるからトータルで考えれば効率が良いかもしれないと、ほんの最近になって思い始めた。ほら、やっぱり「その気になった時」が一番集中して読めるじゃない。だから、積ん読も悪くないなとね。これ、タブレットだとうまく機能しないんだよ。まあ、ぼくの場合だけど。

今手元においてある本は、料理本が3冊、料理の歴史などの本が8冊、それから山口周さんのリベラルアーツの本とデヴィッド・グレーバーのブルシット・ジョブ。あとは、梅原真さんのデザインの本が2冊。読みきれんのだ。読みたい本がいっぱい有りすぎて困ったもんだと思いながら、他の仕事を進めている。なんなら、このエッセイの更新をしばらくの間止めてみようかという誘惑すら湧いてくる。とはいえ、読んだことや、読むという動作から感じたことをアウトプットする場があるというのは、ぼくにとっては重要だからね。やめないけど。

今日も読んでくれてありがとうございます。読んだことをそのまま書くと、それは整理。これも大切だし、読んだことでぼくの中のいろんな思考が動き出して、なにかしらの考えに至るというのも大切。というのはぼくの勝手な読書観。学生の頃のようにノートに書き出すよりも、ここに書いている方が向いているみたい。

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武藤太郎

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