先日から読み始めた本が面白いのだけど、なかなか進まない。デヴィッド・グレーバーの「ブルシット・ジョブ」。とにかく文字数が多いのだ。翻訳本にありがちだけれど、原語表現が日本語的ではない部分があって慣れていないと、スラスラとはいかない。
ぼくの読書リテラシーが足りていないだけなんだけどさ。
ところで、ブルシット・ジョブとは何なのか。ということなんだけれど、平たく言うと、ホントならいらない仕事だよねという仕事のことだ。
確かになあ。とは思うけれど、まだそれを自分なりに解釈して対応するところまでは至っていない。
1930年代、21世紀の先進国では週15時間労働が実現するだろうと予測されていた。いろんな産業がオートメーション化されていって、人間が手足を動かさなくて良くなるはずだからだ。というのは、なんとなくわかる気がするよね。
ところが、全然達成されていない。
人類が豊かに生きていくために必要な生産は、まだ人力の部分が多いのか?というと、そんなわけないじゃない。30年代から見たら、かなりの部分が機械化したんだよ。
なのに、労働時間は減らない。
仕事をしなくちゃ収入がなくなっちゃうもんね。
だから、仕事のための仕事を作り出すことになっていったというのだ。
全てを肯定するのは無理があるかもしれないけれど、こういった側面が実際にあることは事実だろう。この本の興味深いところは、著者から見て「ブルシット・ジョブだなあ」と思う職業の人に実際にアンケートを実施しているところだ。これによると、ほとんどの就労者は「ぼくらのやっている仕事はブルシット・ジョブだよ」とわかっているらしい。
管理の仕事がとても多い。
これは、日本の経済学者の中でも言われていることらしい。AとBとの間で調整するだけで良いはずのプロジェクト。これには、一般的にもっと多くの調整対象者が介在していることがわかっているという。
今週末飲みに行こうよ。と誰かを誘った時に、相手以外の人の調整が煩雑すぎる。既婚者であればパートナーに一声かけるくらいのことは必要だろうけれね。もしかしたらこの人からも週末の誘いがあるかもしれない。そんな思惑で他の友人に声がけするかね。
そのために、書類が無駄に煩雑になっていく。
実社会で感じるのだけれど、無駄な書類が多いのは公共機関にも見受けられる。なんでこんなことが必要なんだろう。と思うことについては、過去にこういった不正があったからそれを予防するためであるとの回答が多い。いや、わからなくもないんだけどさ。
まっとうに制度を利用している人が大半で、一部の悪いことを考えた人が少数じゃない。不正した人への罰則はほとんど無くて、まっとうな人に「余計な仕事」を乗せているわけだ。
その結果、書類を受け取る人も、それを処理する人も余計な仕事が増える。これをブルシットジョブと呼ぶ。
なんだろうなあ。
経済を加速させたくて、いろんな施策を行うじゃない。例えば新規事業支援とか、起業支援とか、いろいろわるわけだ。進捗管理などもそこにはついてまわるのだけれど、それはとても良い。やる気とは別に、事業をすすめるための道標になる部分もあるだろうからさ。だけど、書類にかかる時間に忙殺されて、事業をすすめる労働力を削らなくちゃいけないと思わされる書類は、余計なんじゃないだろうか。
今日も読んでくれてありがとうございます。ということをこの本から読み取っているのだけれど、どうだろうか。まだ、読み終わっていないのだ。ちゃんと読み切ったらまた違った解釈になるのかもしれないけどね。それにしても、思い切ったタイトルだこと。