エッセイみたいなもの

今日のエッセイ アタリマエが特別になるとき 2022年2月20日

2022年2月20日

最も頭の良い人たちは、自分の考えを常に見直し、すでに解決したと思っていた問題についても考えることをやめない。そして、新しい視点、新しい情報、新しいアイデア、矛盾、自分の意見への異議にも常に心を開いている。

これは、誰の言葉だったかな。もう忘れちゃったのだけれど、言語化すると当たり前のことだと思うよね。そりゃそうだと。こういうアタリマエのことを敢えて言葉にしておくことも、大事なことなんだろうなあ。

頭の良いという表現が当てはまらないのだけれど、ざっくり「すごい人」くらいで捉えて、職人の世界を覗いてみる。そのまんま置き換えしてみようか。

スゴイ料理人は、自分の料理をいつも見直し、完成したと思えた料理についても研究し続ける。家族や友人お客様の感想を聞いたり、新しい調理技法や機器についても情報を探していたり、他の料理人の料理を食べたりするし、自分の料理への批判も真摯に受け止めようとする。

ほらね。それはアタリマエのことなんだ。抽象的だし「頭がいい」なんて言い方をするから、ついうっかり「へぇそんなもんなんだ」でやり過ごしてしまうかもしれない。ちょっとだけ身近なものに置き換えるだけでも実感として理解しやすくなる。

料理人に置き換えたけれど、何でも良いよね。それぞれの人にとって実感しやすいものに置き換えたら良い。

まぁ、地味。

地味だよねえ。頭のいい人って、天才的にパッとひらめくというようなイメージがあるけれど、そうじゃないんだろうね。こんな地味な思考回路なんだ。地味という表現が悪ければ愚直?それも違うか。こういう時、語彙の少なさが出ちゃうね。

なんというか、素直で一生懸命でひたむきな印象を受けてしまうのだ。

こんなことで良かったら、自分でもできそうな気がするじゃん。

ところが、それが出来ていないから「最も頭の良い人」じゃないわけだ。アタリマエのことをひたすら繰り返すことが出来るというのは、特別なことだよね。頑張るっていうんじゃないだろうね。習慣とか癖とか、意識していないのだろう。

案外そういうことって沢山ある。

子どもには「挨拶をしなさい」って言うくせに、挨拶がおろそかな大人は多い。大企業だってあいさつ運動やってたりする。小学校みたいだよね。必要なんだろうけどさ。開けたら閉めるとか、ドアは静かにだとか、明るく朗らかにだとか。こんなことはアタリマエだと言われて育ってきたじゃない。

アタリマエを疑うことは大切だけれど、大切なアタリマエは習慣化するまでやってないと意味がない。褒められないとやらないとか、叱られないから良いとか。

武道の達人の話でこんなことを聞いたことがある。正拳突きはゆっくりと丁寧に行う。ただそれをひたすら繰り返していく。何回行ったのかもわからなくなり、何日続けたのかもわからなくなるほどに続けたとき、正拳突きは誰にも止められないほどの威力をもつ。

正拳突きをすることはないが、万事に渡ってこういうことは起きるのだろう。身体動作に限らず、思考も同様にだ。真剣に一生懸命にやり続けると、アタリマエが特別になる瞬間があるということを、直感で知っているはずだ。

今日も読んでくれてありがとうございます。だいたい「スゴい人」っていうのは、諸事この調子だから所作まで洗練されていっちゃうんだよね。あくまでも結果としてだけど。

  • この記事を書いた人

武藤太郎

掛茶料理むとう2代目 ・代表取締役・会席料理人 資格:日本料理、専門調理師・調理技能士・ ふぐ処理者・調理師 食文化キュレーター・武藤家長男

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