エッセイみたいなもの

今日のエッセイ アマチュアにしか出来ないこともあるよ。 2022年3月18日

アマチュアはアマチュアにしか出来ない楽しみ方がある。というか、むしろお金を貰う立場になると出来ないことも出てくる。全てに当てはまるわけじゃないけれど、そういう傾向が強い気がするな。

基本的に、アマチュアっていうくらいだから、お金をもらっていないじゃない。スポーツであっても絵画であっても、まあ何でも良いんだけど。好きだから「勝手にやってる」わけだ。ここなんだ。勝手にやって許されるというのは、アマチュアの特権とも言える。

好き勝手に自由にやることがビジネスになることもあるよね。それは、お金を払う人がそう思っているから。自由にやってくれないようになったら、価値が無くなっちゃうわけだ。

けれど、そういうケースは実は希少だ。人のことなんかお構いなしに、自分のやりたいようにやるだけだ。というのが認められるには、それ相応の条件があるだろう。例えば、人気者だとか、自由にやっていることが誰かの役に立っているだとか。他の人が求めるものと、自分勝手がイコールで結ばれた場合だよね。

料理人も、デザイナーも、職人も。何でも良いのだけれど、ある一定の制約があるのが一般的だね。何でもかんでも自由にやって良いわけじゃない。それなりに考えなくちゃいけない。

例えば、料理を作るにも、相手の予算に合わせて作る必要がある。お客様の予算に合わせて、しかもちゃんと利益が出るように考えて料理を作るわけだ。これが、家庭料理だったらそこまで考えなくていい。食材にどの程度予算をかけるかは、自分の裁量の範囲内だもの。

どちらも、制約が無いわけじゃないけれど、自分でコントロールが出来るかどうかが決定的に違うでしょ。

あと、商品としての価値をどこまで必要とするかということもあるよね。お客様からの期待値みたいなものがかるからさ。ぼくらの業界でよく話になるのはサンマだよ。

ぼくの個人的な価値観なんだけど、サンマが一番美味しいのは塩焼きだと思うんだよね。他にもあるよ。だけど、良いサンマを手に入れたらいい感じの塩焼きにするのが一番美味しいと思うんだ。それも、丸焼きだよね。

仮にそうだとする。

じゃあ、秋になって最高のサンマが手に入ったからと言って、料亭で提供するのは勇気がいるんだ。演出の仕方次第では面白いから、時々出すけれどさ。例えば、はじめて来店するお客様で、あまり料亭にも慣れていなくて、お祝いだったらどうだろうか。

「お客様が期待している料理」のゾーンっていうのがあってさ。あんまり外れるとびっくりされるんだよね。それが、親しいお客様や友人だったら、良いの。今日はこんな演出なんだなって分かるから。そうじゃない場合は、びっくりされるだけなんだよ。びっくりするのは良いんだけど、時として怒りに変化することがあるから厄介なのよ。

アマチュアだったら、そんなの記にしなくていいの。だいたい、一緒に食べることのほうが多いしね。めちゃくちゃ美味しいサンマだったから塩焼きにした。これで良いの。

良い例えじゃなかったな。

プロはお金をもらっている以上は、お金をもらえるだけの仕事をしなくちゃいけない。そういうプレッシャーみたいなものを内外から感じなくちゃならんのよね。そのうえで、どの辺りに自分のクリエイティブな部分を着地させるかっていうことになる。こういうことを含めてのプロなわけだ。これをストレスだと思ったら、料理を商売に選ばない方が幸せかも。もしくは、自由が許される条件を見つけて揃えることだ。

アマチュアはね。アマチュアとして料理を楽しむのが良いのだと思うよ。料亭やレストランのマネごとをして疲れる必要なんかないの。家庭用の調味料とか食材で「料亭の味」というキャッチコピーの商品があるでしょ。あれ、あんまり好きじゃないんだ。

家庭にしか出来ない味があるのに、なんでわざわざ料亭の味にしちゃうんだろうなと。夏には夏の良さ、冬には冬の良さってあるじゃん。どっちも代えがたい良さがある。それを片方に寄せなくてもいいのになぁって。ぼくの主観でしか無いけどね。

今日も読んでくれてありがとうございます。アマチュアにはアマチュアにしか出来ない「楽しみ方」があるように思うんだ。たべものラジオだって、ぼくは学者でも研究者でもないから面白いんだよ。大人の自由研究。そこが良いの。ぼくにとってはね。

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武藤太郎

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